2019年1月12日 (土)

駅員、砂川次郎の独り言 第三話

> 結局、次郎が学校の先生から合格通知を聞くのは、おじさんが家にやって来てから三日後に学校に届いた速達で知ったのでした。

「次郎、先生が呼んでいるぞ。」
幼なじみで、同級生の良夫が声をかけます。

 「え?先生が?」

多分、国鉄の試験のことだろうと思いましたが、間髪入れず良夫が、

「次郎、なんか悪いことしたんだろう。」
いたずらっぽい目で良夫が笑います。

 「違うよ・・・。」
といいながら、恐る恐る職員室に向かうのでした。
良夫も何となく気になって職員室の前まで行くのでした。

職員室の前で、

「入ります」

そう言って職員室の引き戸を開けると、丁度担任の先生が教頭先生と話しているところでした。

次郎の顔を認めると、

  「おお、佐藤、おめでとう。」

担任の大井先生と教頭先生が一斉に声をかけます。

職員室の前で待っていた良夫も、(・。・)状態

担任の大井先生が、次郎に告げます。

「先程、速達郵便が届いてな、開けてみたら佐藤君が日本国有鉄道の試験に合格したからと言う内容だったんだ。

次郎は、既に親戚のおじさんから聞いて知っているとも言えず、黙ったままでいると。
先生が、

  「佐藤は嬉しくないのか?」
怪訝そうな顔でのぞき込みます。

「ち。違います。嬉しいです。」

慌てて否定する、次郎でした。
後ろで見ていた良夫も嬉しそうです。

良夫は、家業の町工場を継ぐことになっているのですが、やはり友達の就職は少し複雑な思いもある反面嬉しく感じるのでした。

「次郎、良かったなぁ。」

担任の大井先生からは、後日、配属の希望調書などが自宅に送られるそうだと言った後、また、教頭先生と話を始めるのでした。

そのまま。ボッと立っていると、大井先生が

 「佐藤、もうすぐ授業だから教室に戻れよ」

次郎と良夫は苦笑しながら。

「失礼します」

そう言って、職員室を出るのでした。

良夫が、少し膨れて、

「先生も話が終わったら帰って良いぞとすぐ言ってくれれば良いのになぁ、ずるいよなぁ。」

「そうだな、。。。」
次郎も苦笑しながら、教室に戻るのでした。

次郎、お前国鉄に行くんか?

情報屋と言われる。啓太は次郎に話しかけます。

「え?なんで知っているの。」

次郎はビックリしていると、さっき職員室の近くまで来たら、「おめでとう」という声が聞こえて、外に良夫の姿見えたんでね。

中々勘の良い、啓太です。
流石に情報を集めるのはうまいモノです。

そんなわけで、教室でも次郎が国鉄に合格したことは知れ渡ってしまうのでした。

当時は大学に行くのは本当にお坊ちゃんと呼べるような人だけで、殆どの学生は高校を卒業すると就職するのでした。
実際には、中学を卒業してそのまま働きに行く子もいるので、当時は、高校まで行ければ親としての責任は果たしたと言われたものです。

次郎のクラスでも、大学に進学したのは、町医者の子供と、県会議員のちょっとキザな、二人だけでした。
3クラス120人ですが、大学に進学したのは、10人もいなかったのです。

そうして、3月1日、春の卒業式、各々が一抹の寂しさと三年間の高校生活の思いを抱きながら卒業していくのでした。
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ああ、また紙数が尽きてしまいました。
blackcatから小言を言われそうですね。
次回こそ、駅でのお話をさせていただこうと思います。

実は、最初に勤務したのは、大きな駅でした。
最初から小さな駅で仕事をすると、仕事を覚える機会がないだろうということで、とある大きな駅で働くことになったのですが、その辺はまた次回とさせてくださいね。

2018年12月31日 (月)

駅員、砂川次郎の独り言 第二話

気がつけば、10日も開けてしまいました。
本日もしばしお付き合いくださいませ。

砂川次郎のお話を続けさせていただこうと思います。

> 123列車、和歌山市行きが発車するのと歩調を合わせるかのように、御坊臨港鉄道の気動車も歩を進めていくのでした。

さて、blackcatからの依頼は、私の鉄道員時代のお話だったのですが、思わず受験する前の話になってしまいました。blackcat曰く、面白いからそのまま続けてと言うことでしたので、お言葉に甘えて、もう少し試験のお話をさせていただこうと思います。

試験ですが、試験は一次試験が筆記試験、その後面接や身体検査があったと思います。
なんせ、もう40年以上前の話なのであまり良く覚えていないのですが、私の高校時代の同級生は、二次試験は体力試験がメインで腕立て伏せとかやらされたと言っていましたが、そうしたことは無くクレペリン検査が行われたような気がします。

試験の結果は・・・まぁ、合格しなかったらここでのお話が出来ないわけですから、当然合格したのですが、合格の知らせは学校から教えて貰うのですが、それよりも3日ほど早く、おじさんから伝えられたのでした。

私のおじさんは、当時天鉄局で施設部建築課と言うところに勤務しており、駅及び関連する施設の設計や維持管理を主な仕事としていたようです。
元々は保線区の中に建築部門があったそうで、おじさんも国鉄に入ったまなしの頃は、脚絆を足に巻いて鶴嘴を持って一緒に線路を直しに行ったと言っていました。
当時は、職員の他に雇員・庸員と言われる、非正規の日雇いの職員もいたそうです。
職員はきちんと制服が支給されていますが、庸員と言った人たちには制服の支給は無く、年配の人は職員のお古の制服を貰って着ている人もいましたが、多くの人は鉄道省時代の古い半纏を纏い、ねじり鉢巻きと言った人もいました。
現在と違って、非正規と呼ばれる人たちと正規社員の差は現在よりも酷いものでした。
まぁ、これはおじさんの受け売りなんですけどね。

話が思わず、違うところに行ってしまいました。苦笑

おじさんは、天鉄局で働いており、当然のことながら私が試験を受けることは知っていましたので、人事の採用担当に声をかけていたのでした。
うちの甥っ子が受験するから頼むわ・・・、そんな調子でしたから。
一次試験の成績から二次試験の様子まで逐一おじさんに知られることになるのでした。

だから、一次試験の時も二次試験の合格結果も、学校で聞くよりも早く、おじさんが伝えてくれるのでした。
学校の先生に申し訳ないので、知っていても知らない振りをしていましたね。苦笑

ということで、二次試験が終わってしばらくした頃、おじさんが自宅にやって来たのでした。
夜9時頃だったでしょうか。
玄関のブザーが鳴りました。

母親は、「誰でしょうね、こんな時間に」

そう言いながら玄関の鍵を開けると、おじさんが立っていました。

「あら、兄ちゃんどうしたの?」

  「次郎、いるか?」

「次郎なら帰っているけど、・・・」
「次郎、次郎、おじさんが見えているわよ」

そう呼びかける母親、その声を聞いて。
玄関まで足を運んだのでした、そこにはいつになく厳しい顔の和雄おじさんがいました。

「おじさん、こんばんは」

しかし、おじさんはニコリともせずに厳しい顔をしています。
私は段々不安になってきて、

「お、おじさん・・・」そこまで言って言葉が詰まってしまいました。

しばしの沈黙の後、和雄おじさんが、低い声で

 「試験の結果なんだが」
こう言ってしばらく沈黙してしまいました。
私は、まさか、不合格? だったのか・・・そんな思いが駆け巡ります。

そんな雰囲気を察したのか、おじさんは「にやり」と笑って、

「次郎、合格だ。かなり成績良かったらしいぞ。おじさんも鼻が高いわ」

そう言って高笑いするのです。
実は、管理局の人事採用担当から直接聞いて、仕事を少し早めに切り上げて、次郎の家まで来たのでした。

和雄叔父は、堺市に住んでいました、おじ曰く、急行南紀で来たかったのですが、会議が長引き、乗れなかったそうで、結果的に17:20天王寺発の普通列車に乗ってきたそうです。

和雄叔父さんの腹芸に騙された次郎でしたが、母親もそれを聞いて大喜び。

お兄ちゃん、次郎を騙したら可哀想じゃない・・・と言いながらも嬉しそうです。
父親も玄関が騒がしいので、晩酌を途中で止めて玄関に、

「おお、和雄さんじゃないか、今日はまたどうして?」

そして、母親と次郎の顔を交互にみて、

「そうですか、次郎が合格したのですか?」

 「ええ、次郎君、全合格者100人のうち10番以内の成績で合格したらしいですよ」
 「人事部の同僚が教えてくれましてね、それで取りあえず、取るもの取らず飛んできたというわけです」

「そうか、次郎良かったなぁ」
「和雄さん、まぁ、取りあえず上がってくださいな、玄関での立ち話もなんだし・・・」

 「ありがとうございます」

そんな感じで、父親と和雄おじさんは、酒を飲みながら、国鉄の話を聞かせてくれるのでした。
日頃は酒を飲まない、和雄叔父さんですが、あまりお酒を飲んでいることを見たことはないのですが、今日は父親と嬉しそうに呑んでいます。
Bansyaku
23:00頃だったでしょうか、そろそろ寝ようと思っていたら、居間の方から父親の声がします。

「次郎、次郎、おじさんが話があるそうだ」
そう言われて部屋に入ると、おじさんもすっかり出来上がって、へべれけ状態でした。

部屋に入るなり、

 「次郎、国鉄はいいぞ、まず汽車がただで乗れる、それに休みもあるからなぁ、ワシのように局を受験しろ」

もうすっかり出来上がったおじさんは、上機嫌
父親も一緒になって、
「次郎、和雄おじさんと一緒に仕事させて貰え」
と言った調子で大騒ぎです。

母親が、そんな様子を見かねて
「お父さん、次郎は明日も学校ですから、そろそろお開きにしなさいな」

そう言われて、ようやくお開きになったのでした。

結局、次郎が学校の先生から合格通知を聞くのは、おじさんが家にやって来てから三日後に学校に届いた速達で知ったのでした。

また、blackcatに叱られそうですが、またまた肝心の鉄道員の話になる前に紙数が尽きてしまいましたので。
今度こそ、駅員時代のお話をさせていただこうと思います。m(_ _)m

2018年12月20日 (木)

駅員、砂川次郎の独り言 第一話

皆様こんばんは、初めまして。
砂川次郎と言います、blackcatこと黒猫氏から、定年の記念にあなたの思いで話を書いてくれと言われたのですが、元より学も無く、文才も無いのでとお断りしていたのですが、若い頃のお話で良いからと言われ、さほど面白いお話も無いですよと申し上げたのですが、若い鉄道ファンには、私が駅員になった頃のお話をしたら、是非そのお話をしてくれと言われました。
そんな、駅で切符売った話とか、行き先板【サボ】を付け替える話とか面白いんですかと申し上げたのですが、そんな話ほど今の人は、知らないからと上手くおだてられて、書くことになりました。
いかんせん、もう何年も前のことで有り、思い出しながらなので間違いもあるかもしれませんが、その辺はまぁ、年寄りの思いで話として聞き流してやってくださいませ。

ということで、早速当時のお話などをさせていただこうと思いますが、私は昭和40年に地元の高校を卒業後、おじさんを頼って天王寺鉄道管理局の採用試験を受けることにしました。
当時私は、御坊市というところに住んでおり、天王寺まで行くのは一苦労でした。
今でこそ、特急も走っていますが、当時の特急は御坊など停車しませんでしたが、準急列車か一部の急行列車が停車していました。

試験は天王寺鉄道管理局で行われるとのことで、朝かなり早い汽車に乗ったことを覚えています。
日高川から乗った、御坊臨港鉄道の小さな気動車には私と運転手と車掌、後発車間際に二人ほど乗ってきただけでした。
早朝に、高校生が乗っているものですから、列車の発車前に車掌が珍しがって、
「坊主これからどこへ行くんだ?」
と話しかけるのでした。

私は、少し照れながら、「おじさんの伝手で、国鉄の試験を受けに行くんだ」と言いました。
車掌は、たまげたような顔をして、
「そっか、国鉄にいくんか?」

「いや、まだ決まったわけじゃ無くてこれから試験受けるんだけど・・・」
途中で話を遮るように、

「いや、親戚の伝手なら合格したようなもんだなぁ。儂も国鉄に行きたかったけど試験に落ちてなぁ・・・。まぁ、ガンバレや」

そう言っていると、運転士が、「そろそろ時間だから出発するぞ」と叫びます。

車掌も慌てて、「スマンスマン、発車オーライ」

しばらくすると、最初の停車駅西御坊に到着、ここでも二名ほど乗ってきてすぐ発車、その後途中の駅での乗降も無く、程なく御坊駅に到着、車掌が切符を回収せず、そのまま駅員に渡すようにと言います。

駅で切符を渡し、改めて天王寺までの切符を購入します。
試験は10:00からのため、東和歌山駅に7:56に到着する列車に乗れば何とか間に合いそうです。
早速、駅で切符を買うのですが、そこでも駅員に高校生がこんな朝早くから天王寺まで行くのか? と言う怪訝な顔で聞きます。
受験票を見せて、国鉄の試験を受けるというと、今まで仁王のようにいかめしい顔だった駅員が旧に柔和な顔になり
「そうか、坊主、国鉄受けるんか、国鉄受かったら駅員が良いぞ、間違っても機関車乗りになるなよ・・・」
もう受験する前から、駅に勤務しろと勧められます。

私としては、困惑してしまって黙っていると、その駅員が一言

「ガンバレよ」

そう言って送り出してくれたのでした。
お釣りを受け取り、改札を出ると、助役がホームに立っています。
そうしてしばらくすると、蒸気機関車が警笛を鳴らしながら駅に侵入してくるのでした。

シュッシュ・・・ドラフトの音を響かせながら。機関車は助役の前を通過していきます。
助役は機関士に向けて敬礼し、機関士は前方を注視したまま停止目標でピタリと停車させます。
駅員が、マイクで、「御坊、御坊、御坊でございます。御坊臨港鉄道はお乗り換えでございます」と伝えています。
旅慣れた人や地元の人は、さっさと御坊臨港鉄道のホームに向かうものの、旅慣れない人は右往左往、駅員に聞いて小走りに臨港線ホームに走り寄ります。

123列車、和歌山市行きが発車するのと歩調を合わせるかのように、御坊臨港鉄道の気動車も歩を進めていくのでした。

おっと、肝心の私の駅員になった頃のお話からと思ったのですが、試験を受ける前からのお話になってしまいました。
blackcatからの依頼された紙数に達してしまいましたので、また改めてその後のお話はさせていただこうと思います。

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2018年5月14日 (月)

気動車区、向日京二君の思い出話 最終話

>不満をあらわにする幸子ちゃんでしたが、実は京二君、お母さんと幸子ちゃんをびっくりさせようと、家に一足先に帰っていたのでした。

申し訳ございません。2ヶ月も空けてしまいました。
このまま終わらせるものも嫌なので、今回で最終回とさせていただこうと思います。

京二君は、いつもは現金書留で実家にお金を送っていたのですが、以前もらった手紙に、妹が寂しがっていると母親からの手紙に書いていたこともあり、非番の日にこっそり家に帰ってきたのでした。

「ただいま・・・」
そう言いながら、ドアを開けようとすると・・・鍵がかかっています。
「あれ、買い物にでも行ったのかな」
独り言を呟きながら、京二君は玄関の扉を開けるのでした。

入ってすぐの台所には母親の姿は無く、奥の部屋もシーンと静まったままでした。
「誰もいないのか・・・」
そう呟きながら、京二君は奥の部屋にどっかと座って、母親の帰りを待つことにしました。寮では無く、久々の実家です。
やはり落ち着けます、寝転がって天井を見るとも無く眺めていると次第に睡魔が襲ってくるのでした。
気がつけば、そのまますやすやと寝入ってしまいました。

まさか、京二君が家に帰っているとは知らないお母さんと幸子ちゃんは郵便局近くの商店街で買い物をしているのでした。
当時は大きなスーパーマーケット等無くて、殆どが地元の商店街で買い物をするのが一般的でした。
今日は、サンマが安いよ・・・、コロッケどうですか・・・威勢の良い声が道の両側から聞こえてきます。
幸子ちゃんはお母さんと買い物に来るのが大好きだったのでした。
 「お母さん、コロッケを買って欲しいの」
幸子ちゃんが早速お母さんにおねだりです。
「困った子だね、今日は買わないよ・・・」
そう言いながら、ふっと京二君のことが頭に浮かんだのでした。
そういえば、京二もコロッケが好きだったねぇ。
「仕方が無いねぇ、コロッケ6つくださいな」
母親はお店の大将に話しかけます。
 「コロッケ6つね、 毎度おおきに」
そう言ってにこやかに、店の大将は手際よく揚げたてのコロッケを包むのでした。
幸子ちゃんは、コロッケを買ってもらって大満足
まさか、京二君が帰ってきているなんて夢にも思っていませんから、一人で2個食べられると思ってもうわくわくです。
それを察したのか、母親が笑いながら。
「今日は一つ、明日も一つだからね」
幸子ちゃんは、少し不満そうに「はあーい」
少し不機嫌そうです。

さて、家では京二君が母親と妹の帰りを待っているとも知らず、家に帰ってみるとドアが開いているので、びっくり。
「鍵掛けたよね」・・・、お母さんは幸子ちゃんに尋ねます。
京子ちゃんも、「お母さん、鍵、掛けていたよ・・・」
でも、実際にはドアが開いている。
もしかしたら・・・。
二人は恐る恐る家に入ってみます。
玄関先には誰もいません、たださほど広くない部屋の奥の方から、寝息が聞こえてきます。泥棒?  ・・・お母さんはふと身構えます。
しかし、何も盗るものなんて無いのにね。
そう思いながら、片手にはほうきの柄をもって、奥に進んでいきます。
そこで母親が見たものは・・・、続く
なんて書いたら怒られそうですね。

京二君が寝息を立てて寝ているではありませんか。
なんだ、京二か・・・。
その声に目覚めた京二君、お母さんが座り込んで片手には箒をもって立っています。
目覚めた京二君、先輩が立っているのかと勘違いして、
 「ごめんなさい。つい寝てしまって」
大きな声で叫びます。
「あんた、いつ帰ってきたんだい」
母親が驚きつつも笑いながら話しかけます。
 「か、母ちゃん・・・?」
ばつが悪そうに、頭をかきながらにっこり微笑む京二君でした。
「お母さん、大丈夫・・・?」
玄関の方から幸子ちゃんの声がします。
「大丈夫だよ、それより・・・」
そう言いかけてわざと黙ってしまいました。

「お母さん、・・・」
そう言いながら少し不安そうに家に入っていくと、奥の部屋から懐かしいお兄ちゃんの声が聞こえてきます。
 「お兄ちゃん? 帰っているの」
幸子ちゃんが思わず叫びます。
その声を聞いて、京二君も
「幸子ちゃんか?」
思わず聞き返します。
「お手紙を書いたんで、お兄ちゃんが帰って来た」
幸子ちゃんは満面の笑みを浮かべながら話しかけます。
お母さんも苦笑しながら
「幸子がね、京二が帰ってこないからお手紙を出すんだっていって、さっきポストに入れたばかりだったのよ」
母親が笑いながら話します。
京二君もこの偶然にはびっくりしてしまいました。
笑いながら、今日は家に泊まっていくことを告げると、幸子ちゃんはもう大はしゃぎ。
京二君も改めて我が家は良いなぁ、と改めて思うのでした。
夕方には、幸子ちゃん以外の弟や妹も帰ってきて突然の兄貴の帰宅に大喜び
すぐ下の弟からは、職場のことを質問されます。
弟も国鉄を受けようとして学校の先生にお願いしているところだったのでした。

母親からは、何時もお金を送ってくれるので助かっているよと言われて少し恥ずかしい気分になった京二君でした。
それと、時々はうちに帰ってきておいで、弟たちが喜ぶからね。

そう言われて、改めて、月に一回くらいは家に帰ってこよう、それにもしかしたら自分の後輩になるかもしれない弟に仕事を教えてやろう。
そんな風に思う京二君だったのです。

終わり

2018年3月 8日 (木)

気動車区、向日京二君の思い出話 第5話

    さて、ここで再びお母さんと幸子ちゃんの様子を見てみたいと思います。

気がつくとここで止まっていました・・・。それも2ヶ月も。
この先どのように続けようか・・・正直、悩んでいます。

と言うことで、いきなり終わりというのもなので少しだけ頭をひねってみようと思います。

何時もの商店街の外れに郵便局はありました。
何時も奥の方で不機嫌そうにしている局長さんと、窓口に座る意地の悪そうなおばさんと愛想のある、若いお嬢さんの局員3人だけの小さな郵便局です。

いらっしゃいませ、若い局員さんが声をかけます。
幸子ちゃんは、お姉さんに向かって、「お兄ちゃんに手紙出す切手ちょうだい」

お母さんは苦笑しながら、「いくらですか?」
封書を見て、局員は10円ですね。

そう言って、10円切手を1枚出してきます。
お母さんが渡そうとすると、幸子ちゃんが・・・私が渡すの。

そう言ってお母さんから10円玉をもぎ取るようにして渡します。
若い局員さんは、少しだけ微笑んで、切手を渡してくれました。
桜の花が書かれた切手でした。

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幸子ちゃんは、お母さんに言われるままに、舌でペロペロして切手を封書に貼ります。

貼り終えると、お母さんは幸子ちゃんと一緒に外に出ます。
郵便局では無く、郵便局の外に置いてあるポストに入れるためでした。
最近は背丈が伸びた幸子ちゃん、自分でポストに投函できたようです。
子供の頃はとても大きくてにらまれているような威圧感があったポストですが、最近みると丸っこくてかわいいなぁと思うのでした。

そう、昭和40年前後では、郵便ポストはその殆どが丸形であり、郵便局のマナーも決して良くはありませんでした。(まぁ、国鉄が一番酷くて、その次が集配だった・・・かな
特に小さな郵便局は比較的愛想の良い人もいるのですが、大きい郵便局の評判は良くはなく。国鉄だけが一概にサービスが悪いとはならない、そんな時代でした。
ちなみに、余談ですが今のように定形郵便物という制度が出来たのは昭和41年からであり、それまでは定形より小さい封筒やはがきも定形郵便物と見なしていました。
定形郵便物が定められた背景には、郵便物の消印を機械化する際に、厚いものや小さすぎる郵便物を定形外料金として割高になるように設定してたのでした。

話が、郵便局の話になってしまいましたので、幸子ちゃんのお話に戻りたいと思います。
幸子ちゃんは、自分の背丈よりまだ少し高いポストの差し入れ口に背を伸ばして投函します。

ポストに投函すると、もうお兄ちゃんのところに着いたかしら。・・・。子供らしい発想に少し苦笑するお母さんです。
「幸子、まだ郵便屋さんが取りに来ていないから」ね。

不満をあらわにする幸子ちゃんでしたが、実は京二君、お母さんと幸子ちゃんをびっくりさせようと、家に一足先に帰っていたのでした。

さて、最後はなんとかまとめられるかな・・・。
ということで、ひとまず続くとさせていただきます。

2018年1月 7日 (日)

気動車区、向日京二君の思い出話 第4話

  「じゃぁ、行くよ」

と言って家を出ると幸子ちゃんの手を握りながら郵便局に向かって歩いていくのでした。

続きます。<(_ _)>

と書きながら、また1ヶ月も放置状態になってしまいました。
申し訳ございませんでした。

早速始めたいと思います。

郵便局までの道すがら、幸子ちゃんは、お母さんに質問します。
「お兄ちゃん、いつ帰ってくるの?」
「来週かな。それとも・・・」

お母さんは苦笑しながら、
「幸子、お手紙を出したからと言ってすぐ帰ってこれないよ」

そう言われると、幸子ちゃん少し不満そうにほっぺをカエルのように膨らませて、
「えー、そうなんだ。つまらない」
とぼやくのでした。
お母さんも、京二君のことが心配なのですが、返事が無いのは元気な証拠と思うようにしていたのでした。

そして、こちらはところ変わって、京二君
母親からの手紙が楽しみで、現金書留で送っていたのですが、まさか心配されているとは夢にも思っていませんでした。

今日も、気動車のエンジンと悪戦苦闘しているところでした。
「京二、やけどするなよ・・・」                           
同僚の、長岡君が声をかけます。
今日は、エンジンをばらしてガスケットを交換するのでした。
ヘッドが外されガスケットが顔を出してきます。
向日町運転区は、気動車と電車がありますが、向日君は、気動車専門でした、気動車は山陰線と草津線、奈良線で使われていましたが、奈良線特撮線は、奈良運転区が担当しており
向日君たちが所属する向日町運転所は、山陰線の優等列車からローカル列車まで担当していました。
国鉄の気動車は、その殆どがDMH17系エンジンと呼ばれるエンジンを採用しており、このエンジンの整備の仕方を覚えれば殆どの気動車は同じ機構なのですが、実はやっかいなことにこのエンジンには縦型と横型があり、横型の場合はガスケットは床下から直接交換できるのですが、縦型エンジンの場合は車内の床板を開けてから作業しなくてはならず、冬場は良いのですが夏場などでは暑い車内での作業は大変でした。
主に普通列車に使われる、キハ10系気動車や、20系気動車が縦型エンジン、急行形と呼ばれた気動車や特急気動車は横型エンジンと異なっていますので、夏場だと急行形や特急形のエンジンの検修だとラッキーと内心で思い、冬場は縦型エンジンだとラッキーと思うのですが・・・なかなかそうは問屋が卸してくれる訳も無く、夏場にキハ17等の特に車体幅も狭い車両で整備する場合もあり、この時だけはさすがに向日君も、,いやな仕事だなぁと思うのでした。

さて、ここで再びお母さんと幸子ちゃんの様子を見てみたいと思います。

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2017年12月 5日 (火)

気動車区、向日京二君の思い出話 第3話

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しばらく間が空いてしまいましたが、再び投稿させていただきます。

今日は、向日君のお休みの日の話をさせていただこうと思います。

京二君は中学校を卒業すると迷わず国鉄に入ったのですが、当時は給料をもらうと家計を助けるというのが一般的でした。

京二君も給料を貰った次の公休日には、自分が使いたい僅かの小遣いを残して家族に渡すのでした。

休みの日に家までもっていくこともあれば、時には郵便局から現金書留で送ると言ったこともありました。

現金書留で送るときは、必ず母親が手紙を書いてくれるのでした。

それが京二君には嬉しくて、最近は家に帰らずにもっぱら書留郵便で送るのでした。

 

それまで、毎月家に帰ってきていた京二君が実家に戻らず、現金書留だけ送ってくるものだから今度はご両親が心配してしまうのでした。

 

今のように携帯電話等ありませんから、ちょっと心配になってきます。

妹は、お兄ちゃんが帰ってこないと心配するのでした。

 

さすがに、母親も気になってお父さんに相談するのでした。

「京二に何かあったのかね?」

 

 「むしろ、便りはないのは元気な証拠っていうじゃないか、元気にやっているのだろうよ。」

 「あんまり気になるのだったら、妹も心配しているから今度帰ってこいとでも手紙書いてやれ。」

 

父親はぶっきらぼうに答えます。

京二君の父親は、小学校しか出ておらず苦労して子供たちを育て上げた職人でした。

字を書くのも読むのも苦手なので。手紙を書く役はいつも母親だったのです。

 

「まぁ・・・」

 

母親は苦笑しながらも、便せんに手紙を書き始めるのでした。

 

京二、お母さんです。

いつも、お金送ってくれてありがとうよ。

お前が働いてくれるお陰で、とても助かっているよ。

でも、お前が働いたお金なんだから、好きなものを買ってもいいんだよ。

それとね、下の小学校2年生の妹が、兄ちゃんいつ帰ってくるの?って毎日云うんだよ。

お兄ちゃんは、お仕事で忙しいんだと言うんだけどね。

毎日、毎日、お兄ちゃんと遊ぶんだ・・・といってなかなか聞かなくてね。

京二も忙しいだろうけど、今度休みの日に帰っておいで。

京二の大好きな草餅沢山作っておくからね。

 

お父さんは相変わらず、無口だけど。

お前が国鉄に入ったことが嬉しくて仕方ないらしくて、俺の息子は国鉄で働いているのだ・・・と家で晩酌しながらいつも、いつも言っているのだ。

だからね、今度帰ってくるときは制服着て帰ってきてくれると父ちゃん喜ぶとから。

 

母より

 

母親は、早速書き上げると封筒に宛名を書き始めるのでした。

京都府向日市****

国鉄向日町気動車区内

     向日 京二様

 

そうして手紙を書き終えると、学校から帰ってきて宿題をしていた下の妹に声をかけます。

「お兄ちゃんに手紙出すから一緒に行くかえ?」

「お兄ちゃん?」

その言葉を聞いて、急いで母親の前にやって来る妹の幸子ちゃんでした。

 「なんだ、お兄ちゃん帰って来たんじゃないのか?」

「だから、今からお兄ちゃんに手紙出しに行くんだよ。」

母親がそういうと母親が持っている手紙をひったくるようにして、私が出して来る・・・と言って表に飛び出そうとします。

母親は苦笑しながら、「切手貼ってないから郵便局に行かなくちゃ。」

そう言われて少しだけばつが悪そうな幸子ちゃんです。

母親は、

「じゃぁ、行くよ」

と言って家を出ると幸子ちゃんの手を握りながら郵便局に向かって歩いていくのでした。

続きます。<(_ _)>

2017年11月14日 (火)

気動車区、向日京二君の思い出話 第2話

検修の合間に聞かせてくれたのでした。

そんなお話を次回以降させていただこうと思います。

京二君は、デイゼル機関の修理であり、エンジンを分解するためどうしても作業服は油で汚れがちになります、時には顔に思わず髭が伸びたりしています。

「向日、偉くなったもんだなぁ髭なんか伸ばして」・・・時々班長が笑いながら声をかけます。

 「す、すみません、」

慌てて手でこするものだから余計に顔全体に広がって・・・。

「向日、取りあえず顔洗ってこい。ここはいいから。」

そう言われると、慌てて一礼して手洗いに向かう、向日君でした。

顔を洗って戻ってくると、班長が笑いながら、
「向日、慣れないから大変だろうけど経験が大事だからなぁ」

そう言うと、京二君に話しかけるのでした。

「俺が、ちょうどお前くらいの時に丁度、「まつかぜ」や「かもめ」に使っている80系が新規で配置されたんだ。」
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「前年に作った、81形(はつかり形)というのがエンジントラブルばかり起こすもんだから新聞の格好のネタにされてなぁ。、国鉄の偉いさんも参ってしまって、翌年にうちにも特急気動車が配置されると聞いたときは、組合としても壊れない車両を入れてくれと申し入れたものさ。」

 「そうなんですね。」
すかさず、京二君も相槌をいれます。
更に班長は雄弁に話し出します。

「当局の偉いさんも、本来であれば10月の改正であるが、大事を取って約1か月間は通常ダイヤに乗せて毎日運転することになったんだ。
白鳥なら。大阪から青森まで直通運転させただろう、14両編成でエンジンが20個近くもあるのだが、帰ってくると所々エンジンが動かなくなTetsucafe_tennouji1 っているのが幾つかあるわけ。」

「それをだな、その日のうちに修理しろと言う訳だ。」
「それはそれで大変でな、連日深夜の泊りのものが修理するわけだが、エンジンが焼き付いている場合もあるが一番多かったのがガスケットが壊れる奴だな。」

何ですかそれは?
ちょっと興味津々に向日君が質問します。

エンジンのヘッド開けたら、銅製のガスケットがあるだろう。

「はい、知ってます。」

向日君が元気に答えます。

ちょっと苦笑しながらも班長が、

「あのガスケットの間の銅板が割れて繋がってしまう事故が多々あってな。」
「出力が下がるし、オイルを余分に食うから最悪エンジン焼き付き起こすこともあるんだ。」「だから早めに発見してやるんだけど、青森や長崎まで走ってくるからは大変だぞ。」

「特に、白鳥なんか帰ってきたらエンジン5から6台くらい動かないのが当たり前だったからなぁ。」

班長は、当時のことを思い出しながら話します。

さらに、こんなことも。

「特に冬場は大変だったわ、台車とか他の機器類に雪がこびりついて取れなくてな、作業中に溶けて頭に雪の塊を直撃されたこともあったなぁと。むち打ち症になったやつもいたっけ。」

「え?そうなんですか。」
素っ頓狂な声を出して驚く、向日君に班長は、

「冗談に決まってんだろう、本当に向日は人を疑うと言うことを知らないなぁ」

班長は笑います。
「まぁ、それがお前のいい所なんだけどね。」

班長は目を細めて笑うのでした。
さて、そろそろ向日にも新しい仕事を教えてやるとするか。
そういって、向日君の背中を軽くポンと叩く班長は、まるでお父さんのような気持ちになったのでした。

続く

2017年10月25日 (水)

気動車区、向日京二君の思い出話

みなさまこんばんは、久々に投稿させていただきます。

公安官物語、実話をもとに創作をと考えたのですが、全くのオリジナルを創作するほうが楽なので、改めて創作のお話を再開させていただきます。

今回の舞台は、昭和39年の向日町運転所を舞台に若い検修員の物語です。

最初のお断りしておきますが、あくまで妄想の産物であり、想像上のものであることをお断りしておきます。

今回の主人公は向日京二君、昭和24年のベビーブーマー世代の一人、彼は長男でしたが、彼の下に妹2人、弟3人がおり、一番下の弟は昨年生まれたばかりでした。

そんな事情ですから、京二君は新生中学を卒業すると迷うことなく国鉄に入ったのでした。

特に鉄道が好きという訳ではありませんでしたが、国鉄なら働きながら学校にも行かせてくれるという担任のすすめもあり、国鉄を受験したのでした。

幸い試験は合格し、実家からは少し離れた向日町運転所(配属当時は向日町運転区でしたが、7月に運転所に変更)で勤務することになりました、家からも通えたのですが。
時間が不規則になることもあり、職場の近くの独身寮に住むこととなりました。

京二君にしてみれば親元を離れる寂しさもありましたが、職場と学校、更に一人暮らしも慣れてくると中々楽しいもので、すぐに慣れてしまったのでした。

京二君が初めて、職場に配属された頃、京二君は気動車検修の担当として配置されることとなりました。

全く何もわからない京二君、職場で新しいヘルメットと作業服(ナッパ服)が支給されたのですが、作業服はかなりぶかぶかでした。

「先輩この制服少し大きくないですか?」

真顔で聞く京二君に、

「服を合わせるのではなくて、体に服を合わせるんだと・・・」

先輩が冗談とも本気ともつかない真面目な顔で京二君に話しかけます。

京二君も真剣に受け取って・・・。

「はい、服に体を合わせるように・・・」

と言いかけて、先輩は大爆笑、他の同僚職員も大笑いです。

キョトンとしている、京二君に。

「向日・・・。本気にするなよ。面白過ぎるで・・・。」

と腹を抱えながら大笑

「幾らなんでも服に合わせって冗談に決まっているだろうが。」

班長の、青田が笑います。

「向日、まぁ、軽い冗談だからな。多少縮むからそれで丁度いい具合なんだよ」

1年先輩の、新田潟雄が笑いながら話しかけます。

「先輩、本当かと思いましたよ。」

頭を掻きながら笑う京二治君でした、初日に熱い?洗礼を受けた京二君でしたが、今ではすっかり職場に溶け込んでいるのでした。

Dc_82

気動車職場は電車職場以上に油にまみれることも多く、気動車の点検修理作業は思った以上に大変でしたが、特に80系気動車はその走行距離も長いことから故障も多く、先輩からもその苦労話をよく聞かされたものでした。

特に、昭和36年の配置当時は前年の「はつかり」の故障が多発していたことから徹底的な走り込みが行われたことや帰ってくると何台ものエンジンが故障して動かなくなっていたりしたことなど・・・。

検修の合間に聞かせてくれたのでした。

そんなお話を次回以降させていただこうと思います。

2017年9月24日 (日)

鉄道公安官 業務日誌第1話

みなさまこんにちは、しばらく開けてしまいましたが、国鉄時代には鉄道公安官と言う制度があり、鉄道施設内の警備警護や列車の警乗などで駅の治安を守っていたものです、国鉄が民営化されてそうした制度も無くなってしまいました。

国鉄線に実際に書かれていた公安物語をモチーフに、お話を膨らませてみたいと思います。
実話に基づくお話ですので脚色してアップさせてもらっております。

皆さまこんばんは、私は米田といいます、私が公安官時代に経験をお話させていただきます。
公安官という仕事をしておりますと、色々な事件などに巻き込まれるものです。
今回のお話は、昭和45年のお話です。
富山行き、急行立山4号でのお話なんです。(原記事では、505Mとなっていますが、昭和44年10月の時刻表も45年10月の時刻表も電車で、夜行運転は507Mしかなく、投稿者の勘違いと思われますので、507Mで書かせていただきます。

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事の始まりは、大阪発富山行きの立山4号の車掌からの申し出でした。
一緒に連れてきたのは十分出来上がった(酒に酔った)中年の男性でした。
車掌が簡単に状況を説明してくれました。

京都を出て大津から草津付近を走行中に列車が急停車、原因はこの男性が運転台に潜り込みパン下げスイッチを押したらしいと言う概要だけは聞き取ることができました。

そこで改めて、その中年の男性の取り調べを始めるのですが、この男性、酒が入って上機嫌であり列車から無理やり下ろされたのが不満で仕方がない様子。
そこで、私も相手を怒らせず何とか事実を引き出そうとするのですが、これが中々進まない。
自分は正しいことをしたのだから感謝してもらって当然である・・・の一点張り。
電車を止めたのは後方から列車が迫っていたからという・・・
むしろ、列車を止めては危ないでしょうと言うのですがこの男性、頑として聞き入れようとしない。

挙句の果てに事務室に掲げてある、「安全の綱領」を指さして、
ほら、あそこに

「疑わしいときは、手落ちなく考えて、もっとも安全と認められるみちを採らなければならない。 」

と書いているではないか、私のしたことは正しい事なんだから、このような扱いを受けるのは心外であるとしてなかなか話が始まらない、それでも何とかなだめすかして話を聞いていったものでした。

聞けば、この男性は中国地方の中学校の先生で、同僚8人と研修旅行で金沢に行く途中だったらしい、ところが域の車中で飲み過ぎてすっかり出来上がってしまい、大阪駅で乗換をするさいに他の先生と逸れてしまったそうだ。

酔った足取りでふらつきながら同僚の先生を探しながら歩いていると最後部まで来たらしい。
みると、後ろから電車のライトが、どんどん近づいてくるライトを見てこの先生、追突すると思い、無我夢中で電車を止めたんだと言う。

まぁ、その時に最後部に車掌が居れば良かったのだがあいにく車掌は不在で、乗務員室へのドアも開けってあったそうで、その先生、いきなり運転台のスイッチを片っ端から触ってみたそうです。

何かの拍子にパンタグラフの降下装置を押してしまったのでしょう。
車内は非常灯だけになり、列車は力行(スピードを上げること)が出来ず急停車、焦るのは乗客以上に車掌と運転士、手分けして車両の内外を点検しています。
ようやく、パンタグラフが下がっていることが判った次第。しかし、誰がパンタグラフを下ろしたのか。

今度は車掌は犯人探しをしなくてはなりません。
そこで、最後部受持ちの運転兼務車掌が戻ると、運転室内に中年の男性が座っているではないですか。

車掌は、「どうされましたか。」
と聞いたところ、

列車はちょうど、大津を過ぎたあたり、左手に琵琶湖の湖面が月夜に浮かび手前では車窓から漏れる光が青々と育つ田んぼの稲を映し出しています。
それが・・・

車掌が声をかけます。

「ここで何をされているのですか」

男は、酔っているとはいえ真面目な顔で。

「追突しそうだったので止めた」の一点張り、運転室内ではあらゆるスイッチを押したようです、やがて運転士が降下していたパンタグラフを上げたことで車内は明るさを取り戻し、15分遅れで米原に向けて動き出したのだそうです。
運転台の様子などから、この男性が電車を止めた張本人の様子、仕方なく米原で降りていただき、取り調べをすることにしたそうです。

そこで、先ほどの話になるのですが、かなりメートルが上がっていて、話がどうも前に進まないわけです。

「俺は電車が衝突するのを止めたんだ、何で、こんなところに連れてこられたんだ」挙句の果てには、だから国鉄が悪いんだ・・・よくわからない理由を並べ立てて一人で怒っています。

さすがに、これには、一緒に当直していた酒井公安官も持て余し気味
それでも、なだめすかしながら、少しづつ話を聞いてみると・・・
大阪駅で乗換の際に逸れてしまい、ホームの人混みの中を探すが見つからず、乗車すべき列車の発車時刻となったので慌てて飛び乗った次第と言っていました。

その後、何とかフラフラとしながら最後尾にたどり着いたら今度は電車のライトが追っかけてくるのでこれは追突と思ったと言うんです。

何度も、「後ろから迫ってくるんだったら電車止めちゃダメでしょう」・・・と言うのですが、学校の先生、教えるのは上手かも知れないが人の話を聞くのは苦手なようでなったくお話になりません。

それでも、次第に酔いも醒めてきた頃、

「あれ、ここはどこですか。」

同僚の酒井公安官が、「電車が衝突すると言ってあなたが電車を止めたんですよ」

と言われきょとんとした目をしています。
「あなたが後方から電車のライトが見えたから電車を急停車させたと・・・。」
ところが先生、酔いが醒めてまっとうな判断が出来るようになったのは良いのですが・・・。

「そんな、後ろから走ってくるんだったら電車なんか止めたらだめじゃないですか。誰ですか、そんな無茶なことをするのは。」

酒井公安官は苦笑しながら、「あなたが、電車を止めたんでしょう。」

「へ、(・_・)」

「あなたが、酔っ払って電車の運転台に入ったんですよ。」

そう言われて、何となく電車の運転台に入ったことを思い出す先生でした。

今度は先ほどまで赤い顔をしていた先生の顔から血の気が引いて諤々と震えだす始末・・・。

結局は、この先生悪気はなく善意の解釈からの行為であったとして厳重注意の上、早朝の急行くずりゅう1号で金沢に向かったそうですが、何とも人騒がせなお話ではありました。

なお、国鉄線昭和45年8月号の記事を参考に創作したお話です。

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