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2015年3月12日 (木)

余部橋梁物語 プロローグ

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みなさま、こんばんは。

旅にでよう、時間旅行に

本日無事終着駅博多に到着することが出来ました。
お付き合いいただいた皆様ありがとうございました。

元文は7年ほど前に書いた文ですのでお恥ずかしい内容では有りますが、恥を忍んで公開して良かったです。(^^ゞ

というわけではないですが、またまた調子に乗って、「余部橋梁物語」などという妄想小説をまたまた明日からアップさせていただこうと思います。

まぁ、頭が猫な人間ですので、どこに飛んで行くか判りませんがどうかしばしおつきあいいただければと思います。

3月とはいえ暖かくなるのかと思いましたが、一気に寒気が流れ込みここ数日寒くなりましたね。

さて、冬場の余部は寒いだろうなと思いつつ、明日から余部橋梁物語を起こしたいと思います。

よっこいしょと・・・。

・・・さて、さて、本当にここから始めるのですが、余部橋梁が新しくなったのは皆さんご存知ですよね。

この橋が架け替えられコンクリート橋になりましたが、古い橋梁についておさらいをしていきたいと思います。

余部鉄橋は、明治42年の12月に工事が始り、2年3ヶ月の工事で明治45年3月1日に開通、これにより山陰本線は京都~鳥取、出雲市方面まで直通できることとなりました、ここを通られた方はご存知と思いますが、鳥取側からも城崎側も山肌が迫ってきておりその間を縫うように余部の集落が点在しており、当初は内陸部を通過する案や、大築堤を建設する案も検討されたそうですが、最終的に、当時の鉄道院技師、古川晴一によりアメリカ人技師ウルフェルの意見を取り入れたトレッスル橋と呼ばれる方式で建設が始まったといわれています。
以下wikipediaから引用

トレッスルとは「架台」、あるいは「うま」のことで、これに橋桁を乗せた構造を持つ桁橋である。長大なスパンがとれないため、多数の橋脚を必要とするので河川や海上に建設するのには不向きだが、陸上橋とすればトータルとしての使用鋼材量が少なくて済む(鋼製トレッスル橋の場合)。

そこまで、まず理解しておいた上で、この物語は始っていくのですが、時代は昭和30年一気に進みます。

実は、余部の集落の人々にとって列車は見るものであり、乗るものではありませんでした。
実際に汽車に乗ろうと思えば、半ば命がけで乗らないといけないそんな時代がありました。

そこには、やさしい兄弟と家族の思いが詰まっていたのです。
このあと、4回のシリーズでお届けする予定の余部鉄橋物語第1部、「僕らの町に汽車がやってきた」乞うご期待

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