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2015年3月 8日 (日)

旅に出よう 時間旅行に 【父親との対話篇】

皆様こんばんは、つまらない妄想小説にお付き合いくださり有り難うございます。
もう少しだけ続きますのでご辛抱ください。(^^ゞ

ここで出てくる和雄と言うのは私の父親の本名でして、すでに他界しております。
父親は国鉄職員でしたが、営業畑ではなく建築関係でしたので、鉄道車両などには全く興味を示さない人でした。
そして、ここにも少し書いているような父親で、付き合いという名目で麻雀に明け暮れる父親で、あまり父親に対する幼少時のいい思い出はありませんでした。
晩年、小さくなった父親を見た時、そんな恨み言は消えて、自分を生んでくれた父親には感謝の気持ちを持っていました。
ただ、当時は一番どん底の時で、和歌山に戻りたくても中々戻れない自分がありました。

気の毒だったのは、母親を交通事故で亡くしてからは、その落ち込みは酷く、毎日泣いて過ごしていました、それが原因か否かは判りませんが、認知症が一気に進んでしまい、母親の後を追うように3年後には他界しました。

若い頃はあれほど離婚騒ぎで自分の人生を振り回されたとは言えr、晩年は夫婦仲睦まじく寄り添っていたことを考えてみると、お互いに信頼しあっていたんだろうなと思う反面。

あっさり離婚してしまった自分がすごく情けなかったですね。

そして、こんなことになるのなら、もう少し親孝行できたのにと思う反省の意味を込めてもう一度この文章をアップさせていただいた次第です。

 親孝行したいときには親はなし。
 私もやっと、立ち上がる端緒についた頃だけに余計に悔しい思いがあります。

 

さて、そんな私の戯言はこれくらいにしておきます。
 最後までよろしければお読みくださいませ。

前回のお話では、

> 父親である専務車掌は、38年後の息子に向かって自分が車掌になった頃のお話などを始めるのでした。

ということで、父親が出現したところで終わっておりました。

さて、遅くなりましたが第四夜スタートです。

猫次郎の父親、和雄は猫次郎に対しても、言葉を選びながら。

「お客様は、ご出張ですか?」
「僕はどこへ行くのかな?」

相変わらず言葉使いは慇懃であり、子どもの頃に感じた、暴君のような父親を想像することは出来ませんでした。

猫次郎は返答に困り口をもごもごさせるだけでした。

しばらくして、沈黙の時間が流れ、その雰囲気に耐え切れなくなった時
猫次郎が、「車掌さんは、どうしてこの仕事を選んだのですか」 と聞いてみました。

和雄は、
「私はこの仕事が好きだからです。」
「多くのお客様に満足していただくのが私の使命なのです。」

猫次郎は、思わず「家庭を犠牲にしているのではないか」と喉元まで言葉が出ていたのですがそれは流石に言えませんでした。

さらに、和雄は
「今では、このように特急にも乗せていただき、楽になりましたが車掌になりたての頃はそれは大変でした。」

猫次郎は、興味があったのでおもわず、
「どういうことですか?」
と聞いたところ。 和雄は思い出話を少しづつ始めるのでした。

「私が入社したのが昭和33年4月で小さな駅での採用でした。
2年ほどして憧れの車掌になれたときは大変嬉しくて、天にも上る気分でした。
しかし、実際には厳しい上下関係があって、比較的楽な乗務は先輩車掌が優先して取ってしまうので、残されるのは夜が中心の乗務だったり、乗務と乗務の間が大きく開いていたりで、それは大変だったと話してくれました。

また、夜の貨物列車に車掌として乗務していた頃、おんぼろの車掌車に泣かされた事など等・・・
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緩急車ならぬ寒泣車【戦後の車掌車は整備不良の上、ストーブの薪代わりに室内の内装を外して燃やしたりしたものもあったそうで、冬場などストーブもない車内で乗務することもあったそうです・・・

話は尽きないのですが、この続きは後ほどさせていただきます。m(__)m

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