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2015年3月14日 (土)

余部橋梁物語 僕らの町に汽車がやって来た 第2夜

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>実は、この駅を設けることを決定付けた小学生の手紙があるのですが、このお話は後ほどさせていただきたいと思います。

ということで終わっておりましたが、さてその手紙とはどんな内容だったのでしょうか。

余部橋梁物語、第2夜スタートです。

余部の集落の人たちにとって、時折聞こえる汽笛の音は時計代わりとはいえ、ときには悲しみを思い起こさせる汽笛にもなりました。

太助の妻、ムメのように、列車に乗るために事故に遭った家族も少なからずいました。

実は、知事の心を動かし、当時の国鉄本社の幹部に駅設置を決めさせたのは、小学生が書いた1通の手紙でした。

以下にその内容を記します。

 ひょうごけん知事さま、

 ぼくは、余部小学校にかよう、3年生になる、鈴木一郎といいます。

 ぼくのお父さんは、余部の、鉄橋を守る仕事をしています。

 お父さんは、ぼくにいつも言います。

 「汽車にのる人は、みんな線路を歩いて、よろいの駅まで行くのだけれど

冬は雪が降るし、風もきつい、余部のしゅう落に駅ができたらいいのになぁ」と

ぼくのおじいさんは、お父さんが子どものころに、汽車に乗ろうとして、よろい駅まで歩くと中のトンネルの中で汽車にひかれて死んだそうです。

 お父さんは、苦労して小学校を出ると、はたらきはじめたそうです。

知事さま、どうか余部に駅を作ってください。

お願いします。

(注:この手紙は、blackcatの脳内メーカにより生成されたフィクションであり、実際に文章ではありません。)

他にも、多くの小中学生の手紙が多数、知事あてに寄せられました、当時の兵庫県知事、坂本勝は、この手紙を見て痛く感動し、何としても駅を作らなければと思い、当時の国鉄総裁十河信二(新幹線生みの親と言われている)に直接会って見ようと思いました。

知事にしてみれば、陳情の文書などは、どれも同じと思っていましたが、それほど切実な思いが有るのであれば本腰を入れて陳情するしかないと新たに勇気を奮い起こすのでした。

知事は、上京するに際し国鉄総裁あてに上奏文を書くのですが、それはまた明日の夜以降にさせていただきたいと思います。

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