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2015年12月31日 (木)

国鉄時代の思い出、番外編 黒猫旅行記 5

気が付けば1週間程開けてしまいました。
申し訳ありません、よろしければ引き続きお読みいただければと思います。
Ec_153

阪和線以外の新快速に乗るのは初めてなのでとてもワクワクする黒猫ですが・・・。
どんな物語が起こるのでしょうか。

早速続きを始めたいと思います。

> そんなわけで、新快速に乗り込んだ黒猫は、京都を経て彦根まで進むのでした。
新快速の住人となった黒猫は、ガラガラの車内とは裏腹に快走する新快速にわくわくしたのでした。

新大阪すらも通過する新快速はやはり黒猫には異様に映りました。
特急列車よりも速いって?さらに、向日町付近で並走しながら抜き去る姿は同じ国鉄なのに阪急VS国鉄といった他社との競争を思わせるような走りでした。

当時の時刻表を確認すると昭和52年頃は、まだ新快速は草津までしか運行しておらず。彦根まで延長されるのは、昭和60年の改正から、米原まで延長されたのは平成元年からと言われています。

その原因の一つとして、米原まで行くと車両の運用で1編成ほど余分に必要になると言った意見が当時の須田常務理事【JR東海初代社長】の回答がありましたが、個人的には米原駅の扱いが大阪鉄道管理局の管轄でなかったからでという理由もあったのではないかと密かに思っています。

現在は、東海道新幹線区間を除きJR西日本の受け持ちとなっていますが、国鉄時代の米原駅は名古屋鉄道管理局の受け持ちでした。

今でも、JR各社の不協和音が時々話題になりますが、国鉄時代の管理局同士の縄張り争いの方が今よりひどかったとも聞いています。

同じ国鉄という組織なのですがどういうわけか管理局ごとに微妙に運転取り扱いが異なっていたり手順がちがうということが多々ありました。
この辺は、郵政も同じで郵政局ごとに微妙に取り扱いが変わることも多く、郵政局独自で地方にあった内容の通達を作るのが郵政局の大きな仕事でしたが、民営化されてからは郵政支社【昔の郵政局】を飛ばして直接本社から郵便局なり現場に指示が行くことが多く郵政支社自体の存在意義が薄れているようです。

さて、話が大きく脱線したのですが。
草津から快速電車に乗り換えた黒猫は、不安と不安と不安に悩まされながら米原行の普通電車を待つのでした。
まもなく、「こめばら」・・・もとい「まいばら」ゆきの電車がやってきますなどと馬鹿げた案内放送もなく、113系電車がホームに滑り込んできました。

揺られ揺られてて、各駅に停車しながら電車は彦根に、そして終着、米原に到着したのでした。

米原駅では、反対側のホームに名古屋方面行の電車が待ってくれていました。
慌てて乗り込む程でもなかったのですが、乗り遅れては大変と急ぎ足で向かい側の電車に乗込みます。

こちらも、同じく113系ですが、車内の雰囲気が今まで乗ってきた快速電車と違います。
そして、そこで黒猫はその違いに気づいたのですがその辺のお話はまた別の機会にさせていただきます。

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