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2016年1月30日 (土)

黒猫旅行記 北の大地 苦難編 Part1

皆さまこんばんは、本日も黒猫の初めての北海道旅行しばしお付き合いいただければと思います。

先日は北海道に向かう途中に沼津に立ち寄ったお話をさせていただきました。
沼津が目的地ではないので、沼津ではキーホルダーだけ買って東京を目指すことにしました。

当時は、国鉄末期ということも有り鉄道部品【サボや扇風機、変り種では、マスコンなども売られていましたが、沼津でどんなものを売っていたのかがあまり記憶に無いのが残念です。

さて、沼津を出発した黒猫は大きなリュックを背負ったままそのまま東上、113系が幅をきかす東海道線も、熱海を過ぎると15両の長大編成となり、いよいよ東京が近づいてきたことを教えてくれるには十分でした。
001
熱海では、次の列車を待つ間に伊豆急の新車リゾート21や、サロンエクスプレス東京の通過などを見送ったようです。
001a
当時の写真がありましたので、ここでご披露したいと思います。
下手な写真ではありますが、当時の記録として見ていただければと思います。

特にこの時期はグリーン車が百鬼夜行状態で、その多くがサロ110という分類に押し込まれており、サロ181改造車やサロ481、サハ165改造の車両など・・・同じ形式であるにも関わらずスタイルが全く違う車両が溢れていました。
特に181系を改造したグリーン車では大きく屋根が下がるとともに、床も低く作られていたため、113系と連結するとその凸凹は特筆ものでしたが、それだけここまで改造でまかなって居ますというパフォーマンスは上手だったと思います。

沼津が15時頃でしたから東京についたのはすっかり日も暮れた19時頃では無かったかと思います。

さて、ここから北海道にわたるために東北本線の客となります。
これが冬であれば、「津軽海峡冬景色」に見られる風景が見れるのでしょうが、季節は夏そんな雰囲気は有りませんでした。

当時の急行八甲田14系による編成で、仙台以北の旅客をすべて引き受けるからか超満員状態
そんなに苦労しなくても座れるであろうと甘く考えて居たのが馬鹿でした。

座席はすべて埋まり、通路にも人が溢れています。
今では考えられないほどの人人人・・・そんな中やっと車内に入ったはいいけれど当然のことながら座席に空きは無く通路も溢れんばかり・・・仕方がないので黒猫は荷物と一緒にく14系客車の出入り口付近に設けられている、スキー収納場所に、押し込まれて手荷物のようにして眠りました。

まぁ、こんな状態でまともに眠れるわけもないのですがなんとも珍妙な北海道旅行の始まりでした。

結局青森に着くまで座席に座ることは無かったことだけは記憶していますというか終点青森まで結構混んでいました。

飛行機の利用も増えたとはいえ学生などは青函連絡船を使っての移動が一般的だったのかもしれません。

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