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2016年1月31日 (日)

国鉄時代の思い出 北の大地 苦難編 Part2

さてさて、満員の八甲田に乗り込んだ黒猫
当時座席車はすでに14系化されており冷房により車内は快適、かっての夜行列車とは快適さが違います。
国鉄もなかなか粋なサービスと言いたいのですが、何せ通路交ぜ満員の状態ですから身動きもままなりません。
まるで荷物としてスキー板保管スペースで入り込む黒猫、なんとも滑稽な姿です。

当時、青春18きっぷも発売されていましたが、青春18切符では急行列車に乗れませんので【運賃を別に払えば別ですけどね。】周遊券の利用者と大宮・高崎方面の利用客も多かったのかもしれません。

なにせ、上野発の時点では無茶苦茶混んでいたという印象しかありません。
おそらく、寝台車を選んでいればこんな書き出しではなく以下のような内容になっていたかもしれません。

上野駅13番線、遠くに悲しげな機関車のホィッスルが聞こえる。
いよいよ、北海道に向けての旅が今始まるのだ、軽い引き出しのショックが伝わってくる、すでにベッドはセットされており、疲れた体を癒すべく足をベッドの上で伸ばしてくつろぐ黒猫、明日の朝には青森に到着、夕刻までには札幌まで着くであろうが考えてみれば長い道のりだ、眠れない夜の友には少しばかりのアルコール。
これが、旅の無聊を慰めてくれるかもしれない、そう思って駅の売店で買った缶ビールが室温で汗をかきつつあるようだ・・・・

なんて書き出しで始まるんでしょうけどね。(*^-^*)

そんな状態とは程遠い黒猫、何とか狭い空間で眠ろうと悪戦苦闘するのですがなかなか大変、でも疲れていたのもあるでしょうが、そこそこ爆睡していたようです。(*^-^*)

ただ、当初は確かに荷物置き場で寝たのですが、終着につく頃にはがらがらで普通にシートに座っていたような記憶もあるのですが、正直いまだによく覚えていません。

猫は3日経つと忘れるといいますから・・・笑

http://homepage3.nifty.com/6480/page651.html

ここに、当時の八甲田の編成が載っていますが、荷物車を含む10両編成だったみたいですね。

そんな訳で、夜行列車に乗った黒猫は眠れない時間を過ごしながら、同じように北海道旅行に言った面々は飛行機を使っての旅なのですでに北海道を満喫していることを考えると少し悔しい気持ちになりながらも、まだ見ぬ北の大地に思いを馳せるのでした。

八甲田の記憶はどうしても中々思い出せないんですが、乗船名簿が配られてきた時はいよいよ北海道に行くんだなと改めて感じたものでした。

うーん。細かいことが中々思い出せないんですが。
ただ、駅についたのが9時過ぎで青函連絡船に乗るまでは青森名物の長い跨線橋を歩いた記憶は有るのですけどねぇ。

ちなみに、この長い跨線橋をもっと昔は先を争って走ったと言われています。
乗船名簿とかなかったわけではないでしょうけど、ひたすら走ったということをなにかの本で読んだことが有りました。

昭和61年当時は、大阪や、東京首都圏から北海道は、飛行機の利用が一般化しているため、その昔のように他人を突き飛ばしても前に出ようとする人は少なかったと思います。

さて、青函連絡船の桟橋に到着すればいよいよ憧れの連絡船に乗り込むわけですがそのお話はまた後ほどさせていただきます。
001
昭和61年8月の時刻表から

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