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2016年6月30日 (木)

とある物語。ハンプと連結手 第3話

すみません、気が付くと10日以上も空けてしまいました。
本日もお読みいただければ幸いです。

> やがて空は白みはじめ、新しい朝が来たことを伝えてくれます。
> あと数時間で仕事から解放される。
>
> そんな思いで眠い目をこすりながら清は、また別の貨車に飛び乗るのでした。
>
> 次回は、鉄道弘済会のことについてもう少し詳しくお話をしたいと思います。

前回はここで終わっていたと思います。

やがて、空は白みはじめ、朝日が昇る頃、昼間のように照らしていた大きな投光器の照明はやがて消されていきました。

時刻は8:00、あと30分ほどで勤務は終了。
構内の大きな電気時計が8:30を指す頃、班長が伝達するように声を掛けます。
仕事終わり引き上げるぞ・・・。

清の働く操車場はさほど大きな操車場ではありませんがそれでも詰所までは歩けば15分はかかります。
9:00に当直助役に仕事が終わった旨を告げるとともに、操車場詰所わきにある風呂に入って帰るのが当直者の習慣でした。

班長が助役に、本日の業務で、自分の班は事故無しと報告するとともに、助役からは伝達事項として早朝に発生した触車事故について概要が伝達されました。
一人一人が安全作業に従事するように告げられます。

そうして、引継ぎが終わるとそのまま風呂場に向かうのですが、清だけは班長達と一緒に行動せずに残っていました。

それを見た助役が、清に話しかけます。

「君は、たしか・・・佐藤君、佐藤清君だったね。」

 「はい、佐藤です。実は今日は助役さんに教えてもらいたいことがあって・・・。」

「どんなことかな、私でわかることなら、掛職への試験のことかな?」

 「もちろん、掛職の試験もなんですが、今日お聞きしたかったのは鉄道弘済会のことなんです。」

「僕もそんなに詳しいわけではないけれど、昔管理局で厚生の仕事をしたことがあるので判る範囲で答えることとしよう。」

「鉄道弘済会と言うのは、元々国鉄職員の事故に伴う職域福祉事業として作られたそうだ。国鉄の仕事と言うのは佐藤君たちが働いている職場のように危険が多い職場もあるわけで、そうした人たちが命を失ったり、足を切断したりして職場に復帰できない場合もあるよね。そうした人たちを救済する目的で始まったもので、昭和7年に発足したと聞いている。」

 「班長は、駅の売店のおばちゃんは国鉄職員の未亡人だと言っていましたが。」

「そうだよ、戦前は特にそうした人たちの受け入れ先として機能してきたそうだ。」

 清は興味津々に、さらに質問していきます。

「弘済会の仕事は売店だけなのですか?」

 「いや、佐藤君は野球は好きかね?」

唐突に助役が野球の話を始めます。
清は眼をきょとんとさせていると、国鉄スワローズを知っているよな、万年最下位の弱小球団だが・・・。

清も知らないはずは有りませんでした。

「知っていますけど、それがなにか?弘済会と関係があるのですか」

清が問いかけます、

「球団も実は国鉄本体ではなく弘済会がオーナーと言うか出資者なんだ。」

清はすっかり面食らってしまいました。
まさか売店事業している組織が球団を持っていたことがかなり驚きだったようです。
Photo
国鉄スワローズは国鉄が赤字を計上した昭和40代にその経営権を産経新聞に譲渡、1970年には正式にヤクルトが球団を引き継ぐこととなりスワローズの名前はそのままヤクルトに引き継がれている。
スワロー=つばめ ということで、国鉄がいかに「つばめ」と言う愛称を大事ににしていたかわかります。

ここで少しだけ注釈としてwikipediakから引用させていただきます。

昭和24年

シーズンオフでリーグ拡張方針に伴うプロ球団乱立のあおりを受け、各地の国鉄鉄道局(当時)の野球部から選手が引き抜かれる事態が発生した。国鉄は同年の大幅な合理化で労使関係が悪化していることもあり、国鉄職員の団結と意志発揚を目的にプロ球団設立を発案した。当時の国鉄総裁・加賀山之雄が大の野球好きだったことも、参入実現の一要因となった。

しかし、日本国有鉄道法に抵触するため国鉄が直接親会社になることはできず、国鉄の外郭団体である財団法人交通協力会(現:公益財団法人交通協力会・株式会社交通新聞社)が主体となり、1950年1月12日に財団法人鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現:公益財団法人日本交通公社・株式会社ジェイティービー)などの企業により株式会社国鉄球団[1](資料によっては国鉄野球株式会社となっている物もあり)[2]を設立。球団名を国鉄スワローズ(こくてつスワローズ Kokutetsu Swallows )とし、(#球団名も参照のこと)セントラル・リーグに加盟。初代監督には西垣徳雄が就任。
しかし、日本国有鉄道法に抵触するため国鉄が直接親会社になることはできず、国鉄の外郭団体である財団法人交通協力会(現:公益財団法人交通協力会・株式会社交通新聞社)が主体となり、1950年1月12日に財団法人鉄道弘済会、日本通運、日本交通公社(現:公益財団法人日本交通公社・株式会社ジェイティービー)などの企業により株式会社国鉄球団(資料によっては国鉄野球株式会社となっている物もあり)を設立。球団名を国鉄スワローズ(こくてつスワローズ Kokutetsu Swallows )とし、(#球団名も参照のこと)セントラル・リーグに加盟。初代監督には西垣徳雄が就任。

ということで、社会人野球の国鉄職員が引き抜かれることなどを恐れたことや当時の国鉄総裁、加賀山之雄が大の野球好きと言った複数の要因があったようです。

参考

公営財団法人鉄道弘済会の設立目的
よりよい福祉を目指してから抜粋

本法人は、公益事業の運営を本旨とする財団法人として、1932年(昭和7年)2月に設立されました。

設立の趣旨は、国有鉄道の業務に従事し、不慮の事故により殉職された職員の遺族や公傷により退職された職員などの救済と援助を目的としたものでした。第二次大戦後、時代の要請により、一般の方がたをも対象とする一般福祉事業へと、公益事業の範囲を拡大し、1987年(昭和62年)には国鉄の分割・民営化に伴うキヨスク事業の分離により、自ら保有する資産の運用によって福祉事業を維持、運営する自立型の財団法人として、その途を進むこととなり、今日にいたっております。

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