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2017年1月 1日 (日)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第8話

> 佐倉君は、綾瀬さんの姿が見えなくなるまで見送るのでした。
>
> 続く

もうしわけありません、1か月近く放置してしまいました。
さて、綾瀬さんは動態視力が弱くて機関士の道を諦めざるを得ませんでした。

幸い佐倉君ですが、機関区長から正式に鉄道学園への辞令をもらいいよいよ機関士への道を進み始めたのでした。
といっても、蒸気機関車の場合機関助士(カマ焚)からスタートです。もちろん、佐倉君も機関助士となるべく、広島の鉄道学園に入ることとなりました。
管理局ごとに学園があれば良いのですが、さすがにそれでは学園ばかり増えてしまうので、地方ごとに学園がまとめられていました。
他にも中央鉄道学園という組織があり、こちらでは大学課程の教育も行われていました。

佐倉君は、米子鉄道管理局の所属ですが、中国支社のある広島鉄道学園で学ぶことととなりました。

座学は正直眠さとの闘いでした。
中学卒業以来、机に向かって勉強するなんてことは無かったので、それでも憧れの鉄道員になっていよいよ機関助士の訓練に参加していると思うと、最初の頃は退屈で仕方がなかったのですが、だんだんと前向きに板書を写すだけでなく、教官の一言一言を聞き逃すまいとする自身がいることに気付いてびっくりしたのでした。

まさか、自分がこんなに勉強熱心だったなんて。苦笑

時々学校の宿舎に帰って一人になると思い出して苦笑するのでした。

授業は座学の他にも適性検査なども行われました、色覚検査はもちろんのこと、クレペリン検査、ツベルクリン反応、・・・。いえいえ、後のは冗談です。(^^♪

クレペリン検査・・・今でも使われているんですね。
他にも、動体視力を図るための検査でも行われたりしました。

教官からは、信号の見落とし=事故の繋がるということを何度も何度も色々な教官から聞かされます。
正直、耳にタコができるほどでした。

佐倉君が機関助士になったのはかなり後ですからATSも全国に整備されていましたが、指導教官が機関士になった頃はまだATSは整備されておらず、車内警報と呼ばれる装置が使われていました。
この車内警報装置は、信号が赤色の場合警報音を鳴らしますが、ブレーキがかかるわけではなく、時々ベルが鳴っているにも関わらず衝突なんてこともあったそうです。

ですから、教官が口を酸っぱくして信号の見落としは重大事故につながると何度も言うのでした。
それでも、昭和40年代でも信号見落としの事故は後を絶たず、ATSがあっても、ATSをわざわざ切って運転したり、ATSを確認後確認ボタンを押した後特段操作しないで追突なんてこともありました。

ATSと車内警報装置  http://blackcatk.exblog.jp/23402297/

佐倉君はもう一人広島機関区からやって来た小倉君と同室でした。
小倉君は下関の生まれだそうですが、広島機関区に親戚のおじさんがいたのでその親戚のおじさんのコネで入ったと言っていました。
どちらかというと、機関士には興味がなかったようで、いつも部屋に戻っては佐倉君に、毎日信号を確認しろ、確認しろ…ってうるさいなぁ。
そうぼやく小倉君でしたが、それでも少しづつ機関士の職責を理解してきたのか、小倉君自身の口からそうした言葉は聞かれなくなりました。

ちょっと辟易としていた佐倉君でしたが、最近はむしろ小倉君の方が熱心で部屋に帰っても熱心に勉強する姿を見ると、佐倉君も負けていられないと少しばかり焦るのでした。

さて、さて、お話はもう少し続きそうなので今日はこのくらいにさせていただきますね。
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