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2017年1月20日 (金)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第10話

みなさまこんにちは、10日近く空けてしまいましたが、しばしお付き合いくださいませ。

さて、長かったようで短かった学園生活ですが、機関助士の試験にも無事合格、修了証書をもらう手が震えます。

管理局は違えど、仲間が出来たことは佐倉君にとっても大変貴重な経験となるのでした。
最初の頃はやる気が無さそうに見えた小倉君が、途中からどんどんやる気を出してきたのにはちょっと驚くとともに、中だるみしていた自身の気持ちを奮い起こさせるのには十分でした。

最終日の終了式が終わると、それぞれ任地の機関区の戻っていきます。
佐倉君は、名残惜しそうに。

「小倉君、同じ釜の飯を食った仲だし、これからもよろしくね。」

  「ああ、佐倉君、僕も君と同室になれて本当に良かったと思っている、年賀状のやり取り位しか出来ないけれど、よろしく頼むね。」

気の置けない二人、互いに言葉には出さないものの一抹の寂しさはありました。

学園から駅までの道のり、二人で歩くのも最後だなぁと思いつつ、佐倉君は島根に帰るのでそのまま芸備線に、小倉君は広島機関区なのでそのまま区所に赴くと言っていました。

「小倉君、これからもよろしくね。」

  「佐倉君こそ、お互い一日も早く立派な機関士になろうな。」

と言ってがっちりと握手を交わす二人だったのです。

小倉君が所属していた広島機関区はかってはC59が屯していましたが、電化で追われることは判っていましたので、遠くない将来に機関助士から電気機関車助士さらには、機関士になることが予定されていました。

佐倉君の方は、まだまだ動力近代化は進んでいたとはいえ貨物列車を中心に一部混合列車に蒸気機関車が使われていました。

混合列車と言うのは、旅客列車に数両の貨車を連結した列車で、主にローカル線などで運用されていました。
貨車が機関車のすぐ後ろに付くと暖房管を通せないのでだるまストーブが用意される場合もありました。
他にも、準混合列車と呼ばれるものがあり、こちらは貨物列車のダイヤに客車を載せた場合と言う位置づけだったようですが、混合列車との差異が部内でもわかりずらかったことから。昭和30年代後半頃には準混合列車派種別自体が廃止になっています、

話が違う方向に行ってしまいましたが、そんなわけで混合列車も少なからず走っていたことから、佐倉君はC56で混合列車の助士を務めることとなったのですが、その辺のお話はまた来週以降にさせていただきます。
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