« 気動車区、向日京二君の思い出話 第4話 | トップページ | 気動車区、向日京二君の思い出話 最終話 »

2018年3月 8日 (木)

気動車区、向日京二君の思い出話 第5話

    さて、ここで再びお母さんと幸子ちゃんの様子を見てみたいと思います。

気がつくとここで止まっていました・・・。それも2ヶ月も。
この先どのように続けようか・・・正直、悩んでいます。

と言うことで、いきなり終わりというのもなので少しだけ頭をひねってみようと思います。

何時もの商店街の外れに郵便局はありました。
何時も奥の方で不機嫌そうにしている局長さんと、窓口に座る意地の悪そうなおばさんと愛想のある、若いお嬢さんの局員3人だけの小さな郵便局です。

いらっしゃいませ、若い局員さんが声をかけます。
幸子ちゃんは、お姉さんに向かって、「お兄ちゃんに手紙出す切手ちょうだい」

お母さんは苦笑しながら、「いくらですか?」
封書を見て、局員は10円ですね。

そう言って、10円切手を1枚出してきます。
お母さんが渡そうとすると、幸子ちゃんが・・・私が渡すの。

沿い売ってお母さんから10円玉をもぎ取るようにして窓口で渡します。
若い局員さんは、少しだけ微笑んで、切手を渡してくれました。
桜の花が書かれた切手でした。

879

幸子ちゃんは、お母さんに言われるままに、下でペロペロして切手を封書に貼ります。

貼り終えると、お母さんは幸子ちゃんと一緒に外に出ます。
郵便局では無く、郵便局の外に置いてあるポストに入れるためでした。
最近は背丈が伸びた幸子ちゃん、自分でポストに投函できたようです。
子供の頃はとても大きくてにらまれているような威圧感があったポストですが、最近みると丸っこくてかわいいなぁと思うのでした。

そう、昭和40年前後では、郵便ポストはその殆どが丸形であり、郵便局のマナーも決して良くはありませんでした。(まぁ、国鉄が一番酷くて、その次が集配だった・・・かな
特に小さな郵便局は比較的愛想の良い人もいるのですが、大きい郵便局の評判は良くはなく。国鉄だけが一概にサービスが悪いとはならない、そんな時代でした。
ちなみに、余談ですが今のように定形郵便物という制度が出来たのは昭和41年からであり、それまでは定形より小さい封筒やはがきも定形郵便物と見なしていました。
定形郵便物が定められた背景には、郵便物の消印を機械化する際に厚いものや小さすぎる郵便物を定形外料金として割高になるように設定してありました。

話が、郵便局の話になってしまいましたので、幸子ちゃんのお話に戻りたいと思います。
幸子ちゃんは、自分の背丈よりまだ少し高いポストの差し入れ口に背を伸ばして投函します。

ポストに投函すると、もうお兄ちゃんのところに着いたかしら。・・・。子供らしい発想に少し苦笑するお母さんです。
「幸子、まだ郵便屋さんが取りに来ていないから」ね。

不満をあらわにする幸子ちゃんでしたが、実は京二君、お母さんと幸子ちゃんをびっくりさせようと、家に一足先に帰っていたのでした。

さて、最後はなんとかまとめられるかな・・・。
ということで、ひとまず続くとさせていただきます。

« 気動車区、向日京二君の思い出話 第4話 | トップページ | 気動車区、向日京二君の思い出話 最終話 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/2086385/73069067

この記事へのトラックバック一覧です: 気動車区、向日京二君の思い出話 第5話:

« 気動車区、向日京二君の思い出話 第4話 | トップページ | 気動車区、向日京二君の思い出話 最終話 »

フォト
無料ブログはココログ

他のアカウント

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Facebook 国鉄があった時代