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2018年12月31日 (月)

駅員、砂川次郎の独り言 第二話

気がつけば、10日も開けてしまいました。
本日もしばしお付き合いくださいませ。

砂川次郎のお話を続けさせていただこうと思います。

> 123列車、和歌山市行きが発車するのと歩調を合わせるかのように、御坊臨港鉄道の気動車も歩を進めていくのでした。

さて、blackcatからの依頼は、私の鉄道員時代のお話だったのですが、思わず受験する前の話になってしまいました。blackcat曰く、面白いからそのまま続けてと言うことでしたので、お言葉に甘えて、もう少し試験のお話をさせていただこうと思います。

試験ですが、試験は一次試験が筆記試験、その後面接や身体検査があったと思います。
なんせ、もう40年以上前の話なのであまり良く覚えていないのですが、私の高校時代の同級生は、二次試験は体力試験がメインで腕立て伏せとかやらされたと言っていましたが、そうしたことは無くクレペリン検査が行われたような気がします。

試験の結果は・・・まぁ、合格しなかったらここでのお話が出来ないわけですから、当然合格したのですが、合格の知らせは学校から教えて貰うのですが、それよりも3日ほど早く、おじさんから伝えられたのでした。

私のおじさんは、当時天鉄局で施設部建築課と言うところに勤務しており、駅及び関連する施設の設計や維持管理を主な仕事としていたようです。
元々は保線区の中に建築部門があったそうで、おじさんも国鉄に入ったまなしの頃は、脚絆を足に巻いて鶴嘴を持って一緒に線路を直しに行ったと言っていました。
当時は、職員の他に雇員・庸員と言われる、非正規の日雇いの職員もいたそうです。
職員はきちんと制服が支給されていますが、庸員と言った人たちには制服の支給は無く、年配の人は職員のお古の制服を貰って着ている人もいましたが、多くの人は鉄道省時代の古い半纏を纏い、ねじり鉢巻きと言った人もいました。
現在と違って、非正規と呼ばれる人たちと正規社員の差は現在よりも酷いものでした。
まぁ、これはおじさんの受け売りなんですけどね。

話が思わず、違うところに行ってしまいました。苦笑

おじさんは、天鉄局で働いており、当然のことながら私が試験を受けることは知っていましたので、人事の採用担当に声をかけていたのでした。
うちの甥っ子が受験するから頼むわ・・・、そんな調子でしたから。
一次試験の成績から二次試験の様子まで逐一おじさんに知られることになるのでした。

だから、一次試験の時も二次試験の合格結果も、学校で聞くよりも早く、おじさんが伝えてくれるのでした。
学校の先生に申し訳ないので、知っていても知らない振りをしていましたね。苦笑

ということで、二次試験が終わってしばらくした頃、おじさんが自宅にやって来たのでした。
夜9時頃だったでしょうか。
玄関のブザーが鳴りました。

母親は、「誰でしょうね、こんな時間に」

そう言いながら玄関の鍵を開けると、おじさんが立っていました。

「あら、兄ちゃんどうしたの?」

  「次郎、いるか?」

「次郎なら帰っているけど、・・・」
「次郎、次郎、おじさんが見えているわよ」

そう呼びかける母親、その声を聞いて。
玄関まで足を運んだのでした、そこにはいつになく厳しい顔の和雄おじさんがいました。

「おじさん、こんばんは」

しかし、おじさんはニコリともせずに厳しい顔をしています。
私は段々不安になってきて、

「お、おじさん・・・」そこまで言って言葉が詰まってしまいました。

しばしの沈黙の後、和雄おじさんが、低い声で

 「試験の結果なんだが」
こう言ってしばらく沈黙してしまいました。
私は、まさか、不合格? だったのか・・・そんな思いが駆け巡ります。

そんな雰囲気を察したのか、おじさんは「にやり」と笑って、

「次郎、合格だ。かなり成績良かったらしいぞ。おじさんも鼻が高いわ」

そう言って高笑いするのです。
実は、管理局の人事採用担当から直接聞いて、仕事を少し早めに切り上げて、次郎の家まで来たのでした。

和雄叔父は、堺市に住んでいました、おじ曰く、急行南紀で来たかったのですが、会議が長引き、乗れなかったそうで、結果的に17:20天王寺発の普通列車に乗ってきたそうです。

和雄叔父さんの腹芸に騙された次郎でしたが、母親もそれを聞いて大喜び。

お兄ちゃん、次郎を騙したら可哀想じゃない・・・と言いながらも嬉しそうです。
父親も玄関が騒がしいので、晩酌を途中で止めて玄関に、

「おお、和雄さんじゃないか、今日はまたどうして?」

そして、母親と次郎の顔を交互にみて、

「そうですか、次郎が合格したのですか?」

 「ええ、次郎君、全合格者100人のうち10番以内の成績で合格したらしいですよ」
 「人事部の同僚が教えてくれましてね、それで取りあえず、取るもの取らず飛んできたというわけです」

「そうか、次郎良かったなぁ」
「和雄さん、まぁ、取りあえず上がってくださいな、玄関での立ち話もなんだし・・・」

 「ありがとうございます」

そんな感じで、父親と和雄おじさんは、酒を飲みながら、国鉄の話を聞かせてくれるのでした。
日頃は酒を飲まない、和雄叔父さんですが、あまりお酒を飲んでいることを見たことはないのですが、今日は父親と嬉しそうに呑んでいます。
Bansyaku
23:00頃だったでしょうか、そろそろ寝ようと思っていたら、居間の方から父親の声がします。

「次郎、次郎、おじさんが話があるそうだ」
そう言われて部屋に入ると、おじさんもすっかり出来上がって、へべれけ状態でした。

部屋に入るなり、

 「次郎、国鉄はいいぞ、まず汽車がただで乗れる、それに休みもあるからなぁ、ワシのように局を受験しろ」

もうすっかり出来上がったおじさんは、上機嫌
父親も一緒になって、
「次郎、和雄おじさんと一緒に仕事させて貰え」
と言った調子で大騒ぎです。

母親が、そんな様子を見かねて
「お父さん、次郎は明日も学校ですから、そろそろお開きにしなさいな」

そう言われて、ようやくお開きになったのでした。

結局、次郎が学校の先生から合格通知を聞くのは、おじさんが家にやって来てから三日後に学校に届いた速達で知ったのでした。

また、blackcatに叱られそうですが、またまた肝心の鉄道員の話になる前に紙数が尽きてしまいましたので。
今度こそ、駅員時代のお話をさせていただこうと思います。m(_ _)m

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