鉄道

小説

2017年9月 7日 (木)

鉄道公安官 こぼれ話

Img_8944 皆さんこんばんは、長らく開いてしまいましたが、久々に更新させていただきます。
今回は公安官の実話を参考に、自分なりにアレンジしたお話と言うことで書かせていただこうと思います。
どうかよろしくお願いいたします。

今までは物語が中心でしたが、少しだけ毛色を変えたお話を少しだけさせていただこうと思います。
皆さんにとって、鉄道公安官(正確には鉄道公安職員)というのはどんな存在かご存知でしょうか。

公安職員は、国鉄職員から選抜されたもので、身分が国鉄職員であることに変わりありません。
警察官と異なるのは、公安官はその権限が鉄道構内に限られるということであり、警察官の様にどこでも権限があるわけではありませんでした。
また、公安室長から駅長になったりするルートもあり、公安官になったから一生公安官で鉄道人生を終わるということではなかったようです。
また。階級章に代わる標章は指揮命令系統の明確化のためにありましたが、警察のような階級という位置づけではありませんでした。

さて、それではこれから始めさせていただくのですが、いつものようにある主人公に話して物語を進めたいと思います。

今回の主人公は、鉄道公安室長を最後に勇退した中里雄二さんのお父さん、史郎さんの物語です。
中里史郎さんは、大正9年(1920年)生まれ、既に他界されていますが、元々日記をつけるのが日課だったそうで、遺品を整理していたら大学ノートに公安官時代の思い出を書き綴ってあったそうです。
雄二さんの了承の元、史郎さんの日記からお話を綴らせていただこうと思います。

初めまして、今日は私の父、史郎が国鉄の公安職員だった頃のお話をさせていただこうと思います。
史郎、私の父ですが、鉄道省に入ったのは高等小学校を卒業してからすぐに採用されたそうです。
その後、召集されて軍隊に入隊、召集解除後は当時としては大きな体格を生かして、鉄道公安官上司から推薦されてそのまま退職まで鉄道公安職員として働いたそうです。

今回のお話は、史郎さんが鉄道公安官になったのは昭和23年、本当に鉄道公安官が最初に出来た頃のお話です。

公安官制度が設けられた背景には、当時の犯罪の多さがありました。
戦争で人の心も荒み、毎日の生活が精一杯の時代、置き引き、万引きは言うの及ばず、闇屋の横行など、秩序維持のために取締っても取締っても、雨後の筍の様に生えてくる犯罪者には車掌だけでは限界に達していました。
昭和22年(1947)年1月22日に試験的に東海道線・山陽線の長距離列車(東京~博多)の列車について、警察官による警乗を開始したところ犯罪抑止に大きな力を発揮したと言われていますした、しかし、運輸省(当時)にしてみれば縄張り意識もありますから、自前で警備する職員を専門的に養成しようとして生まれたのが鉄道公安職員制度であり、昭和22(1947)年4月、鉄道当局自らの治安維持担当官として設置されたました。

父、史郎はその1期生でした。

列車の中は犯罪も多く、常に目を向けていないといけない状況だったそうです。
特に夜行列車の場合は、非常に薄暗く、殆ど相手の顔も見えないほどの暗さであったため、置き引きなどにしてみれば仕事がしやすい環境だったのです。

今回のお話は夜ではなくお昼のお話だったそうで、まさか上官が‥という話だったそうです。

さて、早速お話を続けさせていただきましょう。
日記によりますと、昭和23年5月9日だと書かれています。

坂本公安官と二人で乗務したらしいのですが、デッキに枝肉(頭部,尾,四肢端などを切取り,皮や内臓を取除いたあとの肉)を無造作に竹かごに入れてあったそうで。正直あまり気持ちの良いものではない。
そこで、その持ち主を探すことになったのだが・・・。
坂本公安官と手分けして、持ち主を探すことに。
「デッキの荷物は誰のですか」

そう声をかけていくと、車両の真ん中付近で声がする。
 「へい、あっしのです。どうかしましたか・・・。」

中年の担ぎ屋風の男が返事します。

「ちょっとデッキまで来てもらえますか、」
そう言ってデッキに戻ると坂本公安官も先ほどの場所に戻っていました。
持ち主が見つかりましたよ、こちらに来るように言いましたので、そう告げる間もなく先ほどの担ぎ屋風の男がやってきました。

早速、坂本公安官が話しかけます。

「これは、あんたの持ち物ですか。」

 「へい、あっしのですが・・・」
少し怪訝そうな顔をしています。
いや、こんなものむき出しだったらいくら何でも気味悪がる人もいるだろう、新聞紙で包むなどしておかないと他の客が気持ち悪がろう・・。」

そう言われて、それもそうだと思ったのであおろう。

 「旦那、早速新聞紙で外側だけでも見えないようにしますんで・・・そう言いかけて改めて史郎さんの顔をしげしげとみたのです。

最初は、何か恨みごとの一つでもと構えて居たら、やがてニッコリと笑うと、

「あれ、中里一等兵ではないか・・・・」

そう言われて、もう一度担ぎ屋の男の顔をよく見ると・・・、自分がかつて所属していた海軍の兵曹長だったのです。

厳しかった帝国海軍の思い出がよみがえったのであろう、史郎は直立不動で、先ほどの担ぎ屋に敬礼し、
「はっ、兵曹長殿でありましたか、大変失礼いたしました、どうかお気を悪くなさらないでください。」

困ってしまったのは、先ほどの担ぎ屋の男性で

苦笑いしながら、
「俺が悪いんだから、そんな固くならないでくれよ。今日のところは許してやってくれよ、気を付けるからさ。今はこれが生業でね。」

そう言われると、史郎は再び直立不動で敬礼し、

「は、それで結構であります。次回からはよろしくお願いいたします。」

まさか、自分の警乗中の列車にかつての上官が乗っていようとは夢にも思わなかっただけにちょっとしたハプニングだったそうです。

その後、担ぎ屋の男が枝肉に新聞紙を巻いていたのかどうかは書いていませんが、その日の日記には、

若い時に経験したことは、何年たっても昔の癖が出てしまうものだ・・・。
と綴ってありました。

史郎さんの日記には、この後も様々な出来事が綴られていたのですが、それはまた次回のお話とさせていただきましょう。

2017年7月29日 (土)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 一人語り 第1話

皆さまこんばんは、長らく空けてしまいました。
申し訳ありません。

蒸気機関車の話というのは、中学校の頃に読んだお話を記憶を元に書いていますのでさすがに無理があるのであと2回程度で終わりにしたいと思います。

さて、今回のお話は、釜で弁当を温めたというお話。

蒸気機関車というのは常に石炭を燃やして蒸気を作り、その蒸気を使って走らせているわけです、特にディーゼル機関などと異なり運転台のすぐ前でボイラーが燃え盛っているわけですから、運転台は非常に高温になります。
本日も、佐倉君の口から語っていただくことといたしましょう。
ただし、今回は佐倉君の一人が足りという設定になります。

みなさん、佐倉です。
皆様と直接お話するのは初めてですね。
機関車の中であれば機関士としか話をする機会もなく、機関車の乗務交代も特段仕事以外の話はしませんので、こんな風に8お話するのはどうも苦手ですね。

さて、私も半年もすると投炭の技術も向上して、比較的缶水のゲージなども見る余裕が出来たのですが、最初の頃は投炭が精一杯で蒸気圧の計器ばかり見ていて機関士に叱られたものです。
へそ溶かしたらどうするんだと・・・おっと、へその話はまたの機会にさせていただきますね。

今回は、「臍(へそ)で茶を沸かす」ということで、機関車の臍では茶は湧きませんが、機関士は弁当を良く缶の上に置いておいて温めてから食べるなんてことはしていましたよ。

当時は弁当箱と言えばアルマイトの弁当で、特に機関士もドカベン(屋外作業員さんがよく使うような大きな弁当箱味(決して差別的な用語ではないことをお断りしておきます))を缶の上に置いていましたね。
適度な温かさになるということで、私も言われましたが、当時はまだ独身だったのと、さすがに気が引けてしませんでしたが、結構温まっていたようです。
実は一度だけしたことあるんですけど、おにぎりが熱くなりすぎて・・・落っことしてしまって食べられなくなって悲しいことが有ったのでそれからは止めました。苦笑

でも、お茶は必須でしたね。
当然のことながら水分を補給しないと汗が大変なんです。
機関車には何トンも水を積んでいますが、浄化された水でもないのでさすがに飲用には向かないので・・・。
テンダの水飲んで乗務に穴をあけましたなんていうのは、へそを溶かすのと同じくらい恥ずかしいですからね。

さて、こうなってくるとなんも出てくる、臍(へそ)のことが気になりますよね。
臍を溶かすというのは蒸気機関車の安全を守る装置の一つで、未然に体気を防ぐための装置なんです。
まぁ、安全弁とは異なり最後の手段みたいなものですかね。
缶の水槽部下部に1か所だけ穴をあけておいてその栓を比較的低い温度で溶ける金属で作っておくんです。

それが先ほどの缶水のゲージの話になるわけです。
缶水のゲージが減ってきていたら給水ポンプで給水して一定のところまで入れておく、先輩機関士の話では、終戦直後などは石炭の質が悪く(産出量が減ったうえ高級炭は進駐軍専用列車に回されて泥炭などが混じったものが回ってきて石炭を焚いても焚いても蒸気が上がらず臍を溶かし方ことも有ったそうで、その時は乗務の機関士にこっぴどく殴られたと言っていました。
臍を溶かしてしまうと当然のことながら修理となるため缶は使えず、余分な経費もかかるわけで、機関士、機関助士の間では、臍を溶かすことは乗務員最大の恥辱として語り継がれてきたのです。
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私も一度だけですが、危ない時がありました。
蒸気がなかなか上がらない機関車で、一生懸命投炭していたら、浜田機関士だったのですが、佐倉、すぐ入れろ(給水せよという意味)と言うんですね。
私もそれまでもゲージ見ていたので大丈夫だと思っていたのですが。機関士の言うことですので少し不審に思いながらも給水を開始したのですが、しばらくすると今度はゲージがどんどん下がっていく給水しているのに・・・焦ったものですよ。

「浜田機関士、給水ポンプ動きません」

真顔で言ったものです。
それを見て浜田機関士が、日頃笑わないのにこの日だけは大声で笑いながら。
佐倉、今下り勾配に入ったんだ。
お前も乗務していたら知ってるだろう、ここから連続下り勾配だ機関車が今度は下向いているから水が前の方に移動しているからゲージが上がらないように見えるんだ。

そう言われてみると、少しづつゲージは上がっていきます。
再び、浜田機関士の声がします。

「もうそれ位で良いだろう、今度は弁吹かすからな。(弁、安全弁のこと、上記を過剰に作りすぎるとこれまた缶の爆発防止で弁から蒸気が吹き出すため。)
こちらも結果的には不経済運転となるので。安全弁を吹かせるのも機関士仲間では恥なことであったのですよ。
ほら蒸気機関車の上に2本真鍮で作られた小さな筒があるでしょう。
あれが安全弁なんですよ。
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おっと、気が付けば長々とお話してしまいました。
でも、こんなお話本当に皆さん面白いですか?

あと1回お話をと言われているのですが・・・。
最後は、石炭ではなく重油で機関車を走らせたお話をさせてもらいますね。

2017年7月10日 (月)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 自律編

みなさま、こんばんは。
ほぼ1か月ぶりの投稿でございます。
公安官夜話を連載しようと思ったのですが、その前に何話佐倉君の物語を書いてみようということで、第2部スタートさせていただきます。

約3か月の見習い期間中は色々ありましたが。あっという間に過ぎて。
無事一人前の機関助士として勤務できるようになったのがほんの1ヶ月ほど前。
一人前の機関助士と言われても、まだまだ駆け出しのひよっこですから。

時々機関士の雷が落とされます。

今のように丁寧には教えてくれません。
見よう見まねで、技は盗むんだ…そんな時代でした。
機関士が手取り足取り投炭の方法なんて教えてくれません。
まして、運転の仕方なんて・・・教えてくれるはずはありませんから、投炭しながら運転の様子をチラ見しながら何となくその動作などを覚えていくのでした。

やはり機関助士になったら機関士になりたいのは誰でも一緒ですから。
といっても、やっと機関助士として独り立ちしたばかりですから、佐倉君本人が不安でいっぱいです。

佐倉君のペアとなった大倉さんは良い人なんですが、口が悪いので、助士仲間からは怖がられていたのです。

見習い期間も終わり正式にペアが決まってみると、佐倉君の機関士は大倉さんだったのです。
というのも、大倉さんと一緒に組んでいた機関助士が晴れて機関士に昇格したからでした。

ペアが大倉さんと決まったとき、佐倉君にしてみればなんでまた…そう思ったものでした。
それを察したのでしょう、助役が

「佐倉さん、大倉さんは確かにぶっきらぼうで口も悪いと皆さん言いますが、大倉さんの運転技量は抜群で、前任の機関助士も大倉さんの運転を真似て抜群の技量らしいと、評判です。佐倉さんもぜひ、大倉さんの技量を真似て立派な機関士になってください。」

そう言われると、佐倉君もそれ以上は嫌な顔も出来ません。

そんな経緯があったのです。

それでも、最初の頃の乗務では殆ど大倉さんは口をきいてくれません。
本当に必要最小限に事しか言わないのです。

元々どもる癖があったのですが、それを同僚の機関士にからかわれてから余計に喋らなくなったのでした。
それでも、ペアとして仕事する以上はやはり無視するわけにもいきませんし、まして佐倉君は機関助士としての立場ですから当然と言えば当然でした。

無視されても挨拶だけは続けるのでした。
毎度毎度きちんと挨拶されることで、大倉機関士も佐倉君に心を開くようになっていたのです。

浜田機関士も素晴らしい運転を見せていましたが、大倉機関士のブレーキ技は本当に神技と言ってもよいようなもので、勾配区間などでは抑速ブレーキと呼ばれる、下り勾配で一定の速度で下れるように電気ブレーキをかける方式がありますが、大倉機関士はそれを蒸気機関車でしてしまうのでした。
この方式は補給制動と呼ばれるものでしたが、大倉機関士はこの補給制動が非常に上手かったのです。
この方式を上手く使えば、殆どショックを与えないで勾配を下ることが出来るのですが、こうした運転方法は現在のようにマニュアル化されたものはなく機関士の勘と経験によるものだったのです。

補給制動は直接大倉機関士からは教えてくれませんでしたが、同僚の機関助士から教えられたのでした。

「佐倉の大倉機関士は補給制動の名手らしいんだ。」

 「補給制動?」

「佐倉、お前一緒に乗務していて教えてもらっていないのか?」

 「大倉機関士は無口なんで・・・。」

「そうか、お前普通に汽車に乗っていて時々急にスピードが下がってから再び加速したと思ったらまたブレーキがかかってなんてこと経験ないか。」

 「良く乗り合わせるよ」

「それじゃ、大倉機関士の時はどうだ、そんな風に感じるか・・・?」

 「そう言われたら、殆どショックを感じないしブレーキ弁を握ったままだよ。」

「そうなんだよ、それは大倉機関士が補給制動といって、少しづつブレーキを弁を微妙な位置に置くように操作しながら運転しているんだそうだ、そうすることで、乗り心地の向上と石炭の消費も減らせるそうだ。」

そう言われて、改めて大倉機関士の凄さを思い知らされた佐倉君だったのです。

続く
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2017年5月27日 (土)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第19話

皆さまこんばんは、気付けば2週間近く空けてしまいました。
しばしお付き合いくださいませ。

> それでも、黙々と火床の整理をするのでした。
> 改めて、機関助士の仕事の大変さを感じる佐倉君だったのです。

大田機関助士は、再びショベルを持つと投炭を続けるのでした、ある程度投炭が終わると、「しばらくは大丈夫ですから、次は佐倉さんがまた投炭してみてくださいね」

そう言われて一先ず、テンダに腰掛ける佐倉君、すかさず浜田機関士から雷が落ちます。

「佐倉、お前も機関助士だから一緒に信号の確認をしないか」

単なる添乗ではなく機関助士としてみてくれている、言葉は荒いけれど決して佐倉君を嫌っているのではなく、むしろ一人前の機関助士になって貰おうということをひしひしと感じるのでした。

「ハイ」

佐倉君は大きく返事をすると、大田助士の邪魔にならないように気を使いながら浜田機関士・大田助士と一緒に信号を確認喚呼していきます。

最初の頃は中々信号が見つけられなくて、浜田機関士から厳しい声が届きます。
「信号の見落としは。機関士の恥だぞ、お前もいずれ機関士になるんだ」

決して、怒っているのではありません。
浜田機関士の佐倉君に対する思いやりからなんです、ただ照れもあってなかなか優しい言葉をかけられないのでした。

佐倉君もすっかり、理解していました。
浜田機関士は悪い人ではなくて、むしろ僕のことを本当に思ってくれているんだ。

そう思うと、浜田機関士の背後で様子を見ながら信号の確認するのを目で追うようにしていました。
段々と慣れてきたのでしょう、佐倉君も浜田機関士の喚呼の後、大田助士と一緒に遅れることなく信号喚呼していきます。

最初の頃は照れもあってなかなか声も出なかったのですが、一度大きい声で叫んでみるとそこからは結構声が出せるようになったようで、大きな声で、信号喚呼を行います。

大田助士がしばし声を掛けます。

「佐倉さん、そろそろ乗務員の交代です、その前に少しだけ投炭してみますか。」

火床の整理もさることながら佐倉君に練習させてみようという、大田助士の気遣いからでした。

「ハイ」

手短に返事して早速ショベルを両手で、掴んで石炭を掬い、落ち着いて火室を開けます。
熱風が顔に噴き上げてくるのを我慢しながら出来るだけ万遍に石炭を投入していきます。
何回か投入したところ、大田助士から。

「もう、良いですよ。後は私が火床を整理しますので」

そう言うと、火箸で火床を再び均していきます。

「先ほどと比べると均等に撒かれていますね。」

大田機関助士は火床を整地しながら話しかけます。

間もなく浜田機関士たちの乗務は終わり、長いようで短かった1時間半の道のり。
佐倉君にとっても貴重な体験であったことは間違いないようです。

いよいよ次回は最終回に出来るかな・・・。(^^♪

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2017年5月14日 (日)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第18話

すみません、また1週間ほど開けてしまいました。
今回も少しだけお付き合いくださいませ。

> 多少慣れたとはいえ。相変わらず上下に激しく機関車は揺れています。
> 以前に客車に乗ったときはこんなに揺れなかったのになぁと・・・そう思いつつも機関車乗務のさらに学園で習ったことが改めて大事だと改めて思うのでした。

場内進行、再び浜田機関士の声が響きます。すかさず、大田機関士も信号を確認して、場内進行と叫びます。

浜田機関士はやがておもむろにブレーキ弁を回して制動操作にかかります。
しかし、ブレーキ弁を掛けているのですが機関車は一向に停止する気配はありません。ホームはもうまじかに迫っています。

本当に停止できるのでしょうか。

機関車がホームにかかるかかからないかの寸前、ギギギーと言う感じで後ろの方から引っ張られるようにブレーキが効いていきます。
機関車の速度はどんどん下がって、ホームの1/3位のところではほぼ停止するのではないかと思えるゆっくりした速度となってきました。

気の早い人はホームに飛び降りています。
時々、飛び降りたはいいがよろけてしまう人もいるのですが、誰もそれを咎めたりしません。

浜田機関士は単弁と自動弁を巧みに使いながら機関車を停止させていきます。
最後は機関車本体の単弁だけを使ってブレーキを操作し停車させていきます。

プシュー・・・、軽いショックとともに、機関車は停止位置に停車します。

駅員が駅名を独特の調子で連呼します。
〇〇、〇〇、〇〇・・・〇〇線は乗換、・・・。

浜田機関士は大田機関士に耳打ちをします。

「わかりました」

短くうなずいた大田助士は、今度は佐倉君に声を掛けます。
「投炭もそうですが、機関車の車軸を確認しましょう。」

そういうが早いか、大田助士はホームに降りて動輪の中心部を手で触っています。

大田助士が佐倉君に話しかけます。
「機関車の動輪を手で触ってみてください。」

そう言われると、見よう見まねで佐倉君も触ってみます。
手で触れないほど熱いということはありませんが、それなりに熱は持っているようです。

佐倉君も、大田助士の後ろを追いかけるようにしながら見よう見まねで動輪・先輪を確認していきます。
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ホーム側が終われば同様にして反対側もチェックしながら確認していきます。

やがて反対側も回ると、そのまま運転台に這い上がる大田助士と佐倉君でした。

浜田機関士に、
「異常ありません。」

大田助士は報告するのでした。

ホームではベルが鳴り響き列車が出発時間1分前であることを知らせています。
JRになってからはホームでベルを鳴らすことは無くなりましたが、国鉄時代は発車前にベルを鳴らすのが一般的でした。
やがてベルが鳴りやみ、駅長が信号を確認したのち出発を告げるべく手を大きく上に上げて、汽車は出発していくのです。
さて、そこで再び機関車の運転台の中に視線を移してみますと、佐倉君が大田助士の指導の元、給炭をしている最中でした。

両手でショベルを握り、体を捻りながら、前を向きます。
足踏みレバーで焚口戸を開けるのですが、熱い熱気が佐倉君を襲います。

すかさず、大田助士からも厳しい声が聞こえてきます。

「この程度でへこたれてはダメですよ。」

そう言われても、両手でもショベルで掬った石炭は半端なく重いのです。
適当にというと語弊がありますが、見よう見まねで何杯か投入したのでした。

汽車は出発時刻になり、駅長が信号を確認したのち笛を吹鳴して出発合図を送ります。
浜田機関士はチラッと圧力計を睨むと汽笛一声、ブレーキを全て緩め、レギュレーターを徐々に引き上げながら、シリンダーに蒸気を送り込んでいきます。

「シュツ・シュツ・・・」
蒸気を駅構内にまき散らしながら機関車は速度を上げていきます。
中学生でしょうか、ふざけて飛び降りてまた乗ろうとしています。

今では考えられない事ですが、昔は自動ドアなど無い時代でしたからそんなことも不可能では無かったのです。
もちろん、危険なことですから禁止されているのですけど。

さて、そんな事よりも佐倉君、本当に見よう見まねで投入したのですが、慣れないものの悲しさ、石炭は綺麗に満遍なくとはいかず、所々が山になってしまいました。

機関車も少し動き出した頃、浜田機関士が佐倉君に声を掛けます。

「どうだ、石炭を初めて投入したのは・・・。」

  「はい、緊張します。」
佐倉君は緊張しながら答えます。

「佐倉さん、これ見てください」

そう言って大田機関助士が話しかけます。
「所々、黒くなっているところが有るでしょう。あれは通風が悪くなっているんですよ。

そういうと、大田助士は、「黒くなっているところは山になっているんですよ」と言いながら少しづつ均していきます。
熱風は大田助士の顔をまともに吹き上げてきます。
横で見て居る佐倉君もいい加減熱く感じるのに、正面を向いている大田助士はもっと熱そうです。

それでも、黙々と火床の整理をするのでした。
改めて、機関助士の仕事の大変さを感じる佐倉君だったのです。

続く・・・のかよ。(^^♪

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2017年5月 3日 (水)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第17話

> 今度は浜田機関士の雷が飛んできます。
> 「石炭は、カマタキにしてみればとても大切なものだ慎重に扱え」
> 決して本心から怒っているわけではなく、佐倉君に早く一人前になって欲しかったのですがちょっと佐倉君には厳しく聞こえたようです。
> ちょっと、気後れしてしまった佐倉君ですがその後どうなったのでしょうか。
> その辺のお話はまた後程させていただこうと思います。

皆様今晩は、4月24日以来の投稿となります。
初めての投炭、思ったように体が動きません。
いきなり浜田機関士からは雷も・・・もっとも、浜田機関士も最初から上手くいくはずはないのは判っていますので、本心から怒っているわけではありませんでした。

大田助士も苦笑しながら、最初は上手くいきませんから大丈夫ですよ。
熱いですが、慣れるまでは少し早めに焚口を開けてそれからゆっくり投炭すればいいですよ。
と言いながら口頭でコツを伝授します。

浜田機関士が前方を注視しながら、

「大田、佐倉に次の停車駅で投炭の練習させてやれ」

  「わかりました。」

大田助士が短く返答します。
大田機関助士が再びショベルを握り、投炭を開始します。
見ていると流れるように投炭していきます。

佐倉君は、もう一度その無駄のない流れを頭に刻み込もうとしています。

それをみた大田助士が話しかけます。

「佐倉さん、頭で考えるのではなく要は慣れですよ。」
あと10分ほどで次の停車駅です、5分程度止りますのでそこで投炭お願いしますね。
今回は少なめにしておきます。

そう言って何回か投炭した後大田助士も助士席に座るのでした。
佐倉君も立っていてはよろけたりしてもいけませんので、テンダに腰を掛けます。
機関車とテンダを繋ぐ永久連結器直上なので揺れはかなり大きいです。
それでも、佐倉君にしてみれば機関車に乗っているそれだけでも感無量なものがありました。

やがて浜田機関士が大きな声で「第2閉塞進行」と叫びます。
すかさず、大田助士も信号を確認して「第2閉塞進行」と叫びます。
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佐倉君にはどの信号を見ているのかわかりません、口でもごもごと言いかけると、大田助士が
「信号を確認しないで言ってはいけませんよ。」

少しきつい調子で諭されます。大田助士は佐倉君を浜田機関士の後ろに連れて行きます。
今度は少し遠方に信号器が見えました。
場内信号器です、浜田機関士が指さしながら、
「本線場内進行」

同じように大田助士も指さして、「本線場内進行」と叫びます。
そう言うと機関車は軽く警笛を鳴らしながら駅を通過していきます。
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運転助役が見守る中機関車は全速力で通過していきます。

さて、この駅を通過して次の停留所駅(行違い設備の無い駅)を通過するといよいよ停車駅です。
列車の速度は80km/hくらいでしょうか。

多少慣れたとはいえ。相変わらず上下に激しく機関車は揺れています。
以前に客車に乗ったときはこんなに揺れなかったのになぁと・・・そう思いつつも機関車乗務のさらに学園で習ったことが改めて大事だと改めて思うのでした。

続く(すみません。あれもこれも書いてみようと思うとなかなか終われなくて・・・(^^♪)

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2017年4月24日 (月)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第17話

> 佐倉君いよいよ、初投炭を経験するのですがどうなるのでしょうか。
> この辺は、また次回のお話とさせていただきましょう。
みなさま、こんばんは。
またまたしばらく開けてしまいましたが、本日もしばしお付き合いくださいませ。
初めての機関車乗務、最初は機関車の振動にびっくりしてしまった佐倉君ですが、今度は慣れてきたのもあって適宜にバランスを取りながら立てるようになりました。
それを見て大田機関助士も、
「だいぶ慣れてきましたね、それじゃ実際に投炭してみますか?」
そう言って声を掛けてくれるのでした、
「最初は、私がしてみますのでよく見ておいてください。」
そう言うと、大田助士はショベルをテンダに差し入れ、石炭を抜き出すとそのまま体をひねるようにして焚口の前に運びます。
足踏み式の焚口を器用に開いて、そのまま石炭を投げ込みます。
見て居ればさほど難しいことは無いなぁと思うので、佐倉君もこの程度なら僕でもすぐに出来るさと少しだけ舐めてかかっていました。
そうして、何回か投炭作業をした大田機関士は、
「それでは、佐倉さんお願いします。」
そう言ってショベルを手渡されたのですが・・・これが意外と重い。
スコップなんて軽いと思っていたのですが、意外と重いことに改めてびっくりする佐倉君でした。
その雰囲気を察したのでしょう、
「ここに石炭が載りますからもう少し重いですよ。」
いたずらっぽい表情で大田機関助士は話します。
「そうですね、石炭の分だけ重くなりますね。」
まさか、そんなに重くないだろうと思ったの佐倉君でしたが、・・・・
大田機関助士と佐倉君選手交代です。
今度は、佐倉君が初めての投炭をするのですが・・・。
テンダから石炭を掬うためにショベルを入れるのですが、重くてなかなか引き出せません。
「石炭ってこんなに重いのか」
少し手が止まっていると、大田機関助士からの声がします。
 「意外と重いでしょ」
 「そんなにたくさん持つと重いですから少しづつ投炭してください。」
そう言われて、先ほどの半分ほどにしてみました。
これなら、何とか掬えそうです。
ショベルに石炭を載せてそのまま体をねじって投炭しようと思うのですが足が思うように動きません。
投炭口が開く前にショベルが投炭口にゴッツンコ、石炭が運転台に飛び散ります。
今度は浜田機関士の雷が飛んできます。
「石炭は、カマタキにしてみればとても大切なものだ慎重に扱え」
決して本心から怒っているわけではなく、佐倉君に早く一人前になって欲しかったのですがちょっと佐倉君には厳しく聞こえたようです。
ちょっと、気後れしてしまった佐倉君ですがその後どうなったのでしょうか。
その辺のお話はまた後程させていただこうと思います。
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2017年4月13日 (木)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第16話

皆さまこんばんは、また10日ほど空けてしまいました。
申し訳ございません、本日もしばしお付き合いください。

> やがて機関車は最高速度の95km/hまで上がってくるのですが、佐倉君はここで初めて機関士の運転がいかに厳しいかを思い知らされることになるのですが・・・このお話は次回させて頂くこととしましょう。

外から見ているとダイナミックな機関車ですが、実際の乗務は本当に大変だと思い知らされたのです、それは機関車の振動でした、客車に乗っていればほとんど感じない揺れですが機関車では下から突き上げるような振動が絶えず佐倉君を襲います。
立っていると思わずよろけそうになります。
そんな姿を見て浜田機関士が怒鳴ります、「そんなことで一人前のカマタキになれるか。
大田を見ろ。」

そう言われて、大田機関助士を見ると足が床と一体化したように激しい振動の中でもふらつくことなく石炭を投炭していきます。

佐倉君が乗務した機関車はC57形蒸気機関車と呼ばれる機関車で戦争を挟んで製造された機関車でその均整の取れたスタイルから貴婦人と鉄道ファンの間では呼ばれている機関車でした。
そう、JR西日本がSL山口号で使っている機関車です。
しかし、見た目のスマートさとは裏腹に良く揺れること・・・、

機関車がこんなに揺れるとは・・・そう思った佐倉君の気持ちを察したのか、大田助士が給炭の手を止めて佐倉君にの耳元で話しかけます。
「この機関車は、まだ揺れない方ですよ。」

そう言うと、テンダの石炭をすくって、釜の中に投入していきます。
大田助士が足でレバー踏むと、焚口戸が開き、熱風が容赦なく大田助士にかかります。

少し離れてみていた佐倉君は暢気に、やや、足を踏むと焚口戸が開くのだなぁと変に感心していたのですが、それがどれほど大変なことかまだ気づいていないのでした。
やがて機関車は最高速度を維持しながら、平坦な道のりですのでさほど給炭も要らないのでしょう、しばし休息ということで大田助士も機関助士席に座ります。

佐倉君も何とか機関車の振動になれてきたのか自分なりに体の重心をずらせながらバランスが取れるようになりました。
時間にして40分程度でしょうか、そろそろ次の停車駅が近づいてきたようです。
次に停車する駅はかなり大きな駅なのでたっぷり5分以上は停止しています、浜田機関士は時々時刻表と時計を睨めっこしながら時間を追っていきます。
先ほど通過した駅では定時通過しており、予定の停車駅には15秒ほど早着でした。

しばしの休息でもあります、大田機関助士が佐倉君に話しかけます。

「どうですか、機関車に乗ってみた感想は」

 「こんなに揺れるとは夢にも思いませんでした。」

苦笑しながら、大田機関助士は、「このC57形機関車はまだ揺れない方ですよ。」

佐倉君が目を丸くしていると、「C58形機関車はもっと揺れますよ、あれは85km/hまでですが、85㎞/hも出したら本当に大丈夫かなと思うくらい揺れますから・・・。」
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「時々新米の機関助士が振動で飛び出してしまうそうです・・・・。」
真顔でいう大田助士の言葉に、びっくりする佐倉君を見て、浜田機関士が笑い出します。

「佐倉、大田の冗談を真に受けてどうする。」

ふと見ると、浜田機関士が白い歯を見せて笑っていました。

浜田機関士の笑顔に、佐倉君も少しだけ気持ちが軽くなったのです。

やがて出発時間が近くなり、駅のホームではベルが鳴り響きます、
大田助士は、今一度蒸気機関車の圧力計を確認しています、蒸気の圧力は13Kg/?を示しています。

浜田機関士が、大田助士と耳打ちしているようでした。
大田助士がうなづくと、浜田機関士が佐倉君に声を掛けます。

「佐倉、構内信号機を抜けて投炭する時に、大田に教えてもらってお前が投炭してみろ」

佐倉君にしてみれば、嬉しくて仕方ありません。
「ありがとうございます。」

やがてベルが鳴りやみ、信号機は進行を示しています。
駅長が手を挙げて出発の合図です。

浜田機関士は長声汽笛一発、少しづつ動き始めます。
後方を確認する大田機関助士、佐倉君も見よう見まねで後方を確認しています。

佐倉君いよいよ、初投炭を経験するのですがどうなるのでしょうか。
この辺は、また次回のお話とさせていただきましょう。
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2017年3月11日 (土)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第14話

その一部始終を見ていた佐倉君は感動してしまうのですが・・・。
そこで、またまた浜田機関士のカミナリが・・・。
まぁ、その辺のお話はまた次回にいたしましょう。
申し訳ありません。1週間どころか3週間近く放置してしまいました。
お話を再開させていただこうと思います、
「佐倉、お前もカマに乗ったら同じように乗客の命預かってんだ。わかってるのか・・・・。」
怖い顔で睨みつけています。
咄嗟に、フォローするように大田助士が浜田機関士に、
「浜田さん、佐倉君は今日が初めてですし、」
そう言いかけると、その言葉を遮るように、「解っているさ、でもな、大田よ、俺たちが乗客の命を預かっているということは俺も最初に言ったよな。」
 「そうですね、生意気言ってすみませんでした。」
「ばーか、何を改まってるんだ、俺たちを信じて汽車に乗っているということを忘れるなということだ。そうだよな。大田。」
「佐倉も、そういうことだ、だから特に連結の時や、出発の時は気を付けろ」ということだ。
もちろん、ここでは乗客は誰もいませんから乗客の命がと言ってもピンとこないのですが、何でもそうですが適当にしてしまうと大きな事故になりかねません。
だからこそ、より気を付けなくてはならないのでしょう。
そういうとまっすぐ正対して信号が変わるのを待つ浜田機関士でした。
大田助士は今一度火床の様子を見てみます。
焚口戸を開けると熱風が吹き上げてきます。
ちらと、後ろから佐倉君ものぞくとオレンジの炎がゆらゆらと時々舌を出しているように見えます。
直ぐに閉じると蒸気圧を確認します。
機関士もちらっと横目で確認しています。
時計を見やります、入替信号機が定位を示しています。
機関士が時計確認すると定時、いよいよ駅に向かって機関車は動き出したのです。
客車区から駅まではさほどの距離はなく、2・3分で駅に到着。
大田助士も助士席に座っていますし、佐倉君は戸惑っていると浜田機関士が、
「佐倉、危ないから後ろに座っとけ、」
すかさず、大田助士からも
 「佐倉君、テンダに座っておいてください。」
「はい」
佐倉君、急いでテンダに座ろうとしますが振動のある機関車の中足がよろけそうになります。
「大田助士も苦笑しながら、気を付けてくださいね、危ないですよ。」
僅かな時間でしたが、早速乗務員の洗礼を受けてしまった佐倉君ですが、これからさらにあらゆることを経験していくのですが・・・今日はこの辺にしておきましょう。
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2017年2月24日 (金)

機関助士 佐倉一郎の思い出話 第13話

> 実際には、口は悪いですが、浜田機関士はそんなことは一切なくて後に最も尊敬する機関士の一人になるのですがそれはもう少し先の話になります。
> さて、いよいよ機関助士としての最初の一歩を踏み出した佐倉君、これからどんなことが待ち受けているのでしょうか。
すみません、またまた2週間ほど開けてしまいましたが宜しければお読みください。
佐倉君にしてみれば初めての機関車乗務、今までは憧れでしかなかった蒸気機関車に乗ったわけですから、もうワクワクしています。
機関車には最初に機関助士の大田さんが乗り込み、次に機関士の浜田さんが乗り込みます。
ホームはありませんから、まじかに見るとやはり大きく感じます。
「佐倉、ぼっとしてないで早く乗れ」
浜田機関士の声が上から降ってきます。
 「はい、すみませんすぐに上がります。」
慌てて駆け上がろうとする佐倉君に浜田機関士の雷が飛びます。
「馬鹿野郎、怪我したらどうするんだ、落ち着いて一歩一歩ステップ上がってこい、すぐに動かないから。」
そう言われていささか委縮してしまう佐倉君ですが、その辺はベテランの浜田機関士
「俺たちは安全第一なんだ、それに体が資本だからな、怪我したら大好きな機関車に乗れないだろうが・・・だから、十分安全には気を付けろと言ってるんだ。」
言葉は粗いとはいえ、本当に佐倉君を心配していることが言葉の端々から伝わってきます。
機関車の運転台は広いと思っていましたがさすがに3人が乗るとむしろ窮屈です。
浜田機関士が助士の大田君に話しかけます。
「大田、今日はお前がメインだけど、佐倉にも仕事覚えてもらうために途中で投炭作業交代しろ」
「それと、ショベルの使い方も教えておいてやれ」
 「はい」
大田助士が短く返事したのち、早速火床の整理を始めるのでした。
焚口を開けると熱風が容赦なくキャブに這い上がってきます。
大田助士は黙々と作業を進めていきます。
それを遠巻きに眺めるだけの佐倉君でした。
やがて構内の信号機が進行の現示を示しています。
今から客車区に客車を受け取りその後、駅で乗客を乗せるのでした。
佐倉君にしてみれば本当に本当に初めての経験です。
今まで機関区の構内だけでしか見たことが無い機関車が駅構内の信号機を越えて、客車区に向かって進んでいきます。
検修庫は機関車の運転台からは見えませんでしたが、そこでは綾瀬さん他多くの仲間が汗と油にまみれながら整備していることでしょう。
少し誇らしげな気持ちと、すまないという気持ちが交錯しながらやがて機関車は少しづつ速度を上げていきます。
機関区から客車区はすぐ隣なので機関助士も特に投炭する必要もないので助士席に座っています。
さすがに、佐倉君の席は無いのでどうしようと思っていると、大田助士が、
「テンダにでも座っていればいいですよ。」
この時初めて大田機関助士が話しかけます。
機関車は比較的ゆっくりしたスピードで客車区に到着ここで、構内係の誘導で客車を連結します。
構内でのこうした監視も機関助士の仕事、もちろん機関士も見ていますが、常時二人の目で確かめる様にしています。
浜田機関士は体を乗り出して構内係の手旗を見ています、浜田助士も反対側の運転台から顔を出して様子を窺っています。
ここで構内係は、機関車から降りてゆっくりゆっくり緑の旗を振って誘導します。
あと5m、3m」、2m・・・ガチャンという音とともに機関車が客車と連結します。
その一部始終を見ていた佐倉君は感動してしまうのですが・・・。
そこで、またまた浜田機関士のカミナリが・・・。
まぁ、その辺のお話はまた次回にいたしましょう。Dsc_0047_2

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